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*37 The ending of a wonderful journey

 自転車バイクを漕いで緑の中をける。私が通勤用に使っていた安価な物と同じ総称の元にあるとは思えない本格的な自転車は友人夫婦の私物であった。それを借りて、前後夫婦に挟まれながら風を立てたサイクリングの爽快感を手土産に、私はミュンヘンを後にした。帰国前、最後の最後になってバイエルンの豊かな自然を自転車で抜け、森の奥のビアガーデンでビールを飲んだ一日はドイツ生活の大取に相応しい趣味活動アクティビティになった。彼女ら夫婦とはまた日本で会おうと約束をして手を握り合った。
 
 
 ミュンヘンから帰る電車の中で、嗚呼あああと一週間後には日本へ発つんだなあと考えた。考えたばかりで別段沁入しんみりとする事の無かったのは、部屋に戻れば不安がまだ床に転がっているのを知っていたからである。懸念が壁を点々と汚していたからである。すなわちここで言う不安や懸念は全て、飛行機が飛ぶ迄の滑走路の上にある物ばかりで、海を越えた後の事を不安がるも期待がるもこの時はまるで余裕が無いでいた。
 
 
 月、火と日が進む。冷蔵庫の中身の確認をして、さて何を買う必要があるか知らんと考えた矢先、むしろ冷蔵庫の中身をからげなければならない事実にはっとした。また食器用洗剤やトイレットペーパーが無かったからこれも調達しなければならないと考えた矢先、残り僅かでもどうにか週末まで持ってはくれまいかと淡い期待を抱かざるを得なかった。外に出るにあたって向こう一週間の天気予報を確認しようとした矢先、途中から私と無関係になっていった太陽印が他人の物に見え出した。ミュンヘンでの趣味活動アクティビティや同僚との別れの挨拶も然ることながら、こうした不断ふだん通りの生活がこれ以上延長されない事実が端々に現れる日常の景色に強く帰国の実感を覚えた。
 
 
 火曜日になってようやく電気工事士に部屋の電灯をて貰えた。二週も三週も前に電話をし、それから待てど暮らせど来なかった電気工事士は到頭見切り、月曜に何とか代わりの工事士を見付けると彼らは予定通り姿を現して、それだけで既に安堵した。結局、電気配線云々ではなく電灯そのものが壊れているんだと診断された。
 
 
 細かく書き出せばきりが無い程に考える事がある。片付けべき事がある。私もドイツに八年半と長期に渡って住んでこそいるが、日本へ本帰国するのは無論これが初めてである。右も左も分からないから右と左を良く確認する必要がある。水曜日には転出手続きを済ました。それを済ますと各種保険の解約にも漸く手を付けられた。恐る恐る手探りでもやるだけはやった。本帰国の達人エキスパートであれば何てこと無い作業でも、初心者ビギナーの私には果たして正誤の判断が判りかねて不安であった。いや抑々そもそも本帰国の達人エキスパートなど存在するかは知らぬ。私もドイツを去ればその先に二度目三度目の本帰国をする予定も無く、生涯初心者のままである。
 
 
 
 銀行や郵便転送サービスの云々々々うんぬんかんぬんも、日本領事館との遣取やりとりや申請の云々々々かんぬんうんぬんもあった。荷造りと友人に頼まれた土産物の調達もあった。親友に頼まれた絵も描いた。文字に起こすと大変であるが、仕事の無い分一日あたりの時間は有った。体感で言えば一日で二日分過ごした。朝やった事が晩には昨日の事の様に思われた。十分すべき事を片付けていても、進捗が不十分に感ぜられて仕方が無いのは時間の余白が大きいからであろう。
 
 
 部屋の掃除も済ませた。多少の厄介もありながら、次にこの部屋へ入る人に鍵を引き継いで部屋を出た。愛着という程の愛着も無いが、嗚呼この部屋へ来る事はもう無いなとだけ少し考えた。少し考えて止めた。

 ドイツに来たばかりの頃の私が未熟であった旨はこれ迄書いて来た通りである。そこから八年半と経った現在の私の姿のみを見て「ドイツ語が上手」「パンの成形が綺麗」「人間が出来ている」と褒めてくれる者があるが、一朝一夕に、或いは生まれ持った才能でそれらが構成されている訳ではなく、また同時に、血の滲む努力と計り知れぬ苦労を重ねた結晶ともまた違う。ただ八年半分成長したというだけの話である。
 
 未熟な丸腰で異国の地に来ておいて、未熟で丸腰である事を言い訳に呆然と転がるだけなら石である。未熟で丸腰の体と頭のみを武器にどうにかこうにか目の前の道を進むのが意志である。私が極度の心配症である事を理解するは主観であり、大勢の客観の中の私は只一人のアジア系外国人で、それ以上も以下も無い。異国の地、慣れない環境に飛び込み、見慣れぬ人間に囲まれ、聞き慣れぬ言葉を浴びれば自ずから心労が絶えぬ。然しそこに加害者は無く、加害者が無ければ無論被害者も無い。いっそ自分が被害者であれば幾らか気は楽である。然し幾ら主観で被害者を繕ってみても、役所も職場もスーパーの店員も誰も背中をさする者はいない。時にこれを冷酷だと評する者もあるが、己を被害者と定めればどうしても加害者の存在が無ければ納得せぬという自己満足の空繰からくりに他ならない。
 
 そうした中で幾つもの選択と対峙する。怯弱きょうじゃく自己心理メンタルを退治する。右を選んでも左を選んでも己の勝手である。すると責任も己の背である。そうして一方を選び進むとまた直ぐ岐路にぶつかる。また選択をする。頼る場所の無い獣道でこれの連続である。そうして経験を積む。獣道を抜け出さぬ以上、嫌でも選択は継続していく。継続はいずれ力となる。これのみである。
 
 
 八年半を振り返っても苦労の記憶が無い。時として他者から苦労話をただされた事もあったがいずれも返答に窮した。相手方は私の記憶を蘇らせる為に、例えば食事面で、例えば言葉の面でとヒントを出す。生まれ育った国とまるで環境の異なる余所よそに自ら来ておきながら食事や言葉の違いに文句を言っていれば馬鹿である。ドイツに行けば日本に暮らすのと環境が大いに変わる、という大前提を想像せぬままに八年半前の私も成田を発っていれば、もしかしたら食事に言葉に悲鳴を上げて苦労を語っていたかも知らん。苦労は美徳と言う様に見映えはしたかも知れないが、生憎あいにく私は最後まで苦労話を引っ張り出せずに相手もまた苦虫を噛んでいた。相手の方がよっぽど苦労の顔であった。
 
 苦労の記憶も無いが、安心の記憶もまた無かった。先週末にサイクリングをした友人と一度こんな話をした事があったが、その友人は「苦労を苦労と思う暇が無かった」と解り易く言葉にしていて私は成程その通りだと膝を打った。
 
 
 そうは言っても悲しい記憶もある。悔しい場面も思い浮かぶ。それらがいまだ記憶の海、波に揺られている事を認めた上で、それでもこの八年半が素晴らしい時間であったと頷けるのは、自分の頭で、自分の目で、自分の足で、自分の心で進めた歩み、選んだ岐路の上で、まるで自分の人生とは思えない経験を知り、世界に出会って来たからである。
 
 パンの事を知らなかったからこそ、知り得た知識があった。見えた世界があった。マイスター資格を取りパンの歴史を遡り古代に想いを馳せる事が出来た。
 
 ドイツ語を知らなかったからこそ、知り合えた人達がいた。考えた心があった。面倒を見た見習い生のドイツ人の両親から感謝をされるまでになった。
 
 まるで世界を知らなかったからこそ、知りたくなった文化があった。味わえた冒険があった。自分が心から“居場所”を感じられる街をヨーロッパに見付けた。
 
 
 武勇伝では無い。偉ぶるつもりも無い。ただ自分に対して誇れる時間であった。最後になって名残惜しさが案外感じられないのは、或る種の満足を覚えたからであろう。欲を言い出せば限が無い。一方命には限が有る。
 
 
 新たに迎えた岐路もまた、己の判断で選んだ。この選択で人生が好転するか悪転するかという点には俄然興味が無い。選択した時点で己で納得している以上、その先の結果がどうであれ頷くのみである。後ろ向きに歩いても時間は進む。過去というものは在るようで無い。無くなりはするが痕跡は残る。未来を食って痕跡を排していくのが人生である。
 
 その途中で偶然出会った友人の家に、ドイツ最後の晩は泊まった。最後の夕飯は奇しくも八年前、彼に薦められたきりずっと行けずにいたイタリア料理店で取った。夕方に電話で予約を取ってくれた友人は「何時予約を取ろうとしても満席で入れないというのに今日は夕方の電話で予約が取れた。君の最後の日の幸運だ」と笑って言った。沁入しんみりとするを覚えぬ二人は相変わらず切り取った日常を肴に大笑いしながら食事を取った。まさか翌日に一方が飛行機に乗って九〇〇〇キロも遠ざかるとは思えぬほど不断通りであった。


※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。 


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いつも「ドイツパン修行録」を読んで頂いている皆様、この度も読んで頂きありがとうございました。第4章にあたります「The ending of a wonderful joourney編」は今回を持ちまして終了となります。今後についてですが、およそ2週の休載を挟みまして10月1日から新章開始の予定です(ひょっとすると休載が長引く可能性もあります)。どうぞ引き続き「ドイツパン修行録」を宜しくお願い致します。

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