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*6 シュトレンを食べながら

 初雪が降った。金曜日の昼間の事である。そう言えばその日出勤しようとアパートを出た夜中の静けさの中に、寒さだけでなく冬の匂いも混じっている事に気付いていたが、あれは気のせいなどでは無く雪の豊かな町で生まれ育った私の嗅覚が冬の匂いを的確につらまえていたのだと誇らしかった。

 しかし初雪はいつ見ても嬉しいものである。私がまだ子供で親元に暮らしている頃などは、初雪と聞くと二階へ上がって直ぐの窓を目指して兄妹と階段を駆け上がっては街灯の光にちらちらと舞う雪を喜んだ。そうでなくとも初雪を皮切りに嫌と言う程雪が積もる地域なのだから雪が舞う様子など一々有難がっていてはきりが無いのであるが、不思議と最初の雪には魅せられてしまう。その性分しょうぶんは未だに健在である。


 今週は天が金曜日に雪を降らせる為の準備をしていた如く月曜日から気温がぐんと下がっていた。出勤する夜中も連日氷点下であったし愈々いよいよ手袋を引っ張り出す季節になった。そんな寒さの増した月曜日に、窓の修理屋がガラスを交換しにやって来た。管理人が依頼して以来、修理屋との間の遣取やりとりは私が請け負っていたのであるが、以前寸法を測りに来てから凡そ一ヶ月半と空いてようやくガラス交換を施工する日取りが決まったのがつい先週の事であった。まあ元々私自身然程さほど気にならない程度の劣化でしかなかった窓ガラスであったし、それを私が一銭も一セントも払わずして綺麗にして貰えるのであれば、どれだけ期間が空こうが来年に持ち越されようが実際関心が無かった。


 それでマスクをした二人の男が部屋に入って来た。一人は以前寸法を測りに来た白髪の男で、もう一人はその男よりかは幾分か若そうではあったが何れにしても五十は越えていそうな男であった。私は快く挨拶をして迎え入れ二人の男を通すと、彼らは真っ直ぐに窓の下まで歩いて行き、それからおもむろに工具を取り出して大きい窓を外すと、それらを担いで「二時間くらいしたらまた戻って来る」とだけ言い残して帰って行ってしまった。


 窓の外された部屋には寒気が自由に流れ込んだ。近頃再びウイルスの勢力が全盛期以上に増してきて更なる注意の喚起が施されているドイツであるが、幾ら換気が重要でもこれはやり過ぎである。幸い窓を外された広間と別に寝室兼勉強部屋として使って居る部屋もあったのでそちらに逃げ込んだ。


 約束の二時間が経とうとした頃になってコーヒーでも淹れようと広間へ出るとそこはほとんど外であった。結局それから更に一時間が経って男達はまた窓を担いで戻って来た。何も気温がぐっと下がったこの日を選んで遣らなくてもとは思ったが、まあ出来上がった窓を見るとすこぶる綺麗になっていたのでそんな不満はさて置き窓の写真を撮って管理人に送った。


 ベッカライ・クラインにもすっかり冬の風が吹いている。すなわちクリスマスへ向けた準備である。製菓部門ではせっせとクッキーを焼き、製パン部門ではシュトレン ※1 が作られている。シュトレンは毎日焼かれるようなものではないが、生地から漂う芳醇な香りは冬の匂いに敏感な私の鼻を存分に楽しませた。

 今やシュトレンは日本でもドイツ発祥のクリスマス菓子として然程珍しくなくなったようであるが、本来シュトレンはクリスマスまでのアドヴェント期間  ※2  に毎日一切れずつ食べていくものであるから、矢張り最も売り出されるべきは今頃の時期である。シュトレンと言えば数年前にシュトレンで有名なドレスデン ※3 を訪れ、そこでシュトレン祭を見た事があった。四トンだか五トンだかの重さの巨大なシュトレンが馬車に引かれて運ばれ遣って来る様子はなかなか迫力があり、それでいて優雅な空気を纏っていた。以前勤めていたパン屋の同僚に「ドレスデンのシュトレンは絶品だ」と聞いていた通り、ミュンヘン風のシュトレンとは全く違う味わいで、何より物凄くしっとりしていたのを覚えている。

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 今週仕事の休憩時間に、満を持してベッカライ・クラインのシュトレンを販売婦に一切れ切って貰って食べた。身内贔屓でも媚びへつらうでも無くこれまで食べたシュトレンの中で最も美味しいように感じた。口へ入れた瞬間、口いっぱいに広がったラム酒やスパイスの香は鼻を抜け、それからしっとりとした甘みだけが舌の上に残され、それを舌で解くように喉へ押しやると何とも大人な後味が美味しかった。文字で書き起こした品評などどのシュトレンにも当てまってしまうようで歯痒いが、だからと言って歯を磨くのも勿体なく思う程、その美味しさは至高を口の中に残して無くなった。休憩時間には何でも好きな物を店頭から選び取って良いので、暫くはシュトレンにばかり手が伸びそうである。


 冬の寒さやシュトレンの誘惑の中、方言に手を焼きながらも仕事には精を出しているが、その傍ら勉強にも手を付けなければならない私は家に帰るなりこれまでパンを作っていた時間を勉強に充て始めた。ついこの間、心がパンだの、人間もベンチタイムが必要だのと悠長な能書きを垂れては洒落ぶっていたが、そんな私を嘲笑うが如くその直後から愈々そうも言っていられない状況になっているのは、これを人は神様の悪戯と呼ぶのだと確信せざるを得なかった。幸いまだ二週間の猶予があると思っていてもマイスター学校の授業を受けていた時とは違い、仕事との両立、もとい制限時間を仕事と分け合わなければならないのであるから余り余裕は無さそうである。そうして復習に取り掛かる。いわば二周目とも言える勉強は、理解云々の前に言葉として頭に残りやすいように感ぜられているのが僅かな救いである。

 マイスター学校に通い始めた三月末から、最後の試験を迎えた十月上旬まで、私は散々勉強について話をしてきた。勉強とは何か、などと言う啓発染みた話をした憶えこそ無いが、勉強勉強と事ある毎に口を突き綴り残していた。この理由は最早言わずもがなであるという判断の元これ以上垂々だらだらと書き連ねるのは控えるが、しかしながら私は勉強方法というものを未だかつて一度たりと確立出来ずにここまで来た事を、恥ずかしながら告白しておかなければならない念に駆られた。これはドイツに渡ったばかりでドイツ語と我武者羅に向き合った頃から、つい先日、いや今現在経営学を復習している時点まで相変わらずである。


 そんな私も一度人から、どうやったらドイツ語を上手に話せるようになりますか、と聞かれた事があり、具体例の一つも持ち合わせていなかった私は、どうやったらドイツ語を上手に話せるかを只管ひたすら考える事です、と生意気な口を叩くような回答をして意図せず気障きざに振る舞った事があったが、これは一見勉強方法を確立出来ていない自分を隠す為の戯言に見えるが、そうして彼是あれこれと思い付く端から試しながら、勉強と言う括りの中で足掻いていたのが実際であるから仕方無い。時には手書きで本を汚し、活字の方が頭に入ると判断すれば今度はキーボードを叩いて勉強をした。ドイツ人に成り切るが如くドイツ語でイタリア語を学ぶ事でドイツ語を勉強するであるとか、即興ラップと外国語を話す時の脳の動きは似ていそうだから即興ラップの感覚を掴もうとするだとかの奇妙な例もあった。


 そうして彼是と試す事も決して無駄ではない筈である。しかし私が今迎えている局面は短期決戦であり、そこで私は漸く悟った。勉強法などと言うのは自然と確立するものではなく無理矢理にでも確立させてしまわなければならないのであると。私の判断でそうするのだからそれで結果が悪ければ私の責任である。どの方法にも確率は均等である筈で、九回に守護神を投入して打たれたからと言ってその采配が間違っているなどと言うのは高々結果論でしか無いのである。そういう気持ちで私は今永遠と単語カードの様な物を作っている。大切なのは最中に必ず訪れる不安感に負けず、信じて守護神をマウンドに立たせ続ける事である。


(※1)シュトレン [der Stollen]:ドイツを代表するクリスマス菓子パン。
(※2)アドヴェント期間:クリスマス前の約四週間を指す。キリストの誕生を待つ期間。
(※3)ドレスデン:ドイツの東の街。シュトレンで有名。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。

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