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ゲンバノミライ(仮)第45話 新人の海斗君

「そろそろ始まります」
鳶・土工会社の新入社員である西野海斗は、この日のために新調したネクタイをきゅっと締め直した。スーツも新しいものを買いそろえた。作業服の時以外はビシッといこう。各地の同期と話して、そう決めたのだ。

画面越しに、あの災害からの復興街づくりが進む自治体で首長を務める柳本統義が映った。

復興街づくりを一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)に関係するすべての組織に同時配信されている。CJVは、自治体職員やゼネコン、デベロッパー、建設コンサルタント、設計会社らで構成され、計画、設計から、施工、維持管理、運営までを手掛ける。第三者的立場からチェックする監視委員会なども設けられている。
関係する機関、企業は下請である協力会社を含めるとものすごい数となる。

立場こそ異なるものの、復興に向けて一丸となって力を合わせていくパートナーだ。柳本のアイデアで、入庁式や入社式に合わせて祝辞を同時配信することになったのだ。一方通行ではなく、各地の映像は互いに配信している。西野の会社でも、スクリーンを二つ用意しており、一つに柳本のアップが、もう一つには同じように入社式を開いている各企業の様子が映し出されている。

「皆さん、おはようございます。柳本です。まずは、新社会人としての第一歩を踏み出されることに、心からお祝い申し上げます。門出となる1日の大事なお時間をいただいたことに感謝申し上げます」

柳本は、そう言うと、少しキョロキョロした様子を見せた。
「こちらの大画面には、関係機関様や企業様などの映像がずらりと並んでいます。こうした経験は私どもも初めてです。少し緊張しています。
いやあ壮観ですね。皆さん、良い表情をされています」

いったん笑顔を見せてから、真剣な表情に切り替わった。

「私たちの街では、あの災害から復興するために工事が進められています。

私は、この街で生まれ育ちました。あの災害が起きるまで、この街が失われるようなことがあるとは思っていませんでした。ずっと普通の生活が続いて、穏やかな日々が続くと思っていました。あの日、故郷が蹂躙される姿に恐れおののき、足が震え、涙が止まりませんでした。

とても辛く、悲しい出来事です。今もなお、仮設住宅などで不自由な暮らしを余儀なくされている方がたくさんいらっしゃいます。これだけの期間が過ぎたにも関わらず、元通りの暮らしが取り戻せていないことを大変申し訳なく思っております。

あの災害を通じて、見えてきたものがあります。それは、当たり前の暮らしの大切さと、それを支えていただいている多くの方々の存在です。

あの災害の前は、快適な住まいでぐっすりと眠ったり、きれいな職場で働いたりしていました。いつの日も快適に走れる道路が整備されていました。蛇口をひねれば、きれいな水が流れてきました。どこでも誰とでも携帯電話で連絡が取れていました。美味しい食べ物がほしい時にいつでも手に入りました。捨てていたゴミが、きちんと回収されていました。

多くの方の日々の努力の積み重ねで、そういう日常が保たれていることが、いかに大変なことで、どれほど尊いことなのか。
失ってみて、初めて知りました。

今、皆さんたちの多くの先輩方に来ていただいています。被災地の労働環境は、万全ではありません。ものすごく忙しい中で、日々、お仕事をしていただいています。感染症の制約下で、お酒を飲んで楽しくリラックスすることもままならない状況です。

自治体の長として不適切な発言になるかもしれませんが、世の中には、もっと楽にもっとお金が儲かる仕事はいくらでもあります。快適な部屋の中で、雨や雪にさらされることなく、危険な状況に身を置くこともなく、お金を稼ぐことができる手段があります。
それなのに皆さんの先輩方は、わざわざこの街に来ていただいています。そのおかげで一歩一歩、復興への歩みが進んでいます。

それは本当に、ありがたいことです」

西野は、じっと聞いていた。
柳本は、胸ポケットをまさぐって、1枚の家族写真を取り出した。
商店が並ぶ道路の脇で家族が笑顔で並んで立っている。
左上の半分くらいが、くすんでいる。泥で汚れたのかもしれない。

「私が小学生の時に、この街で撮影した写真です。
右脇が両親、反対側が祖父母です。右奥に見える建物がかつての実家です。

なんでこんな場所で撮影したんだろうって、不思議に思う1枚です。
皆さんは知らないかもしれませんが、昔のカメラはフィルム式で決まった枚数しか撮影できませんでした。余ってたらもったいないから撮ったのかもしれません。

皆さん、この街に来てみたいと思いますか?
住んでみたいって思いますか?

正直、あまり思わないかもしれませんね。

他の人にとっては大した魅力を感じないような、ありふれた海辺の街が。この古ぼけた、すすけたような、田舎の小さな街が。やっぱり、私にとっては大事な故郷なんです。

これから復興する街は、この写真とは違って、最先端の技術が取り入れられたコンパクトなスマートシティーになります。ピカピカになります。ものすごく楽しみにしています。ワクワクしています。

街づくりは、もっともっと変わっていくべきです。そのトライアルをどんどんやっていきます。

でも、勘違いしていただきたくないのは、最先端とか一番とかだけが大事ではないということです。

小さなトイレを修繕したり、暗がりに一つの電灯をともしたり、強風で道路に倒れ込んで来た1本の枝を取り除いたり、そういうお仕事も、同じように大切です。一つ一つの作業にスポットライトは当たらないかもしれません。でも、そうした積み重ねが、この写真のようなささやかな笑顔をしっかりと支えています。そのことが、私のような人間にとってかけがえのない思い出として蓄積され、頑張ろうと思う力になります。

世の中には、何かをやるたびに『ありがとう』と言っていただける仕事があります。それは尊いです。

皆様方がこれからやっていく仕事は、必ずしもそうじゃないかもしれません。完成したころには次の現場に移っていく。周りが気付く頃には、既に作業を終えている。そうしなければ、快適に使ってもらえませんから、やむを得ません。

でも、たとえ、直接的に感謝の言葉が伝えられなかったとしても、そうしたお仕事に対しては、必ず感謝の気持ちが宿っています。
あなたの日々のお仕事は、どこかの誰かの未来を作っているということです。
あなたの存在は、必ず力になります。

くじける時、疑問に思う時、辞めたいと思う時、そういう時が誰しもあります。人生100年時代と言われています。いろいろな道があって良いと思います。
ただ、どんな場であっても、あなたは絶対に誰かの力になります。大切な力になります。
そのことだけは、覚えていてほしいと思います」

柳本の話は、予定の時間をオーバーして続いた。西野の前にあるスクリーンには、同じように入社式を迎えている多くの会社の映像が映っていた。同じあいさつを聞いているだけだが、不思議な一体感があった。

西野は、現場を知りたいと思って、アルバイトとして専門工事会社で働いたことをきっかけに、そのまま就職した。大学院まで土木工学などを学んだため、ゼネコンや行政機関などに入る同期がほとんどの中で異色の存在といえる。

CJVに参画するゼネコンに就職した同期もいる。同じメッセージを見ていたはずだ。
立場や役割は、どんどん離れていくかもしれない。だが、進む方向は同じ。そんな気がしている。

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