ゲンバノミライ(仮) 第23話 出禁の瞬くん
久しぶりの夜の街だった。賑やかで楽しい。手持ちの金はあまりないが、久しぶりにキャバクラでも行こうか。こういう気分の時は、酒でも飲んで楽しまなきゃだめだ。
思い出すだけでもムカムカする。腹が立って仕方がない。
どいつもこいつもごちゃごちゃ言いやがって。
武田瞬は、きょう、現場から追い出された。
沿岸の街の復興工事の現場で、足場の組み立てや解体を主に担う鳶職人として働いていた。
自分で言うのも何だが、手際は良いし、仕事は早い。もらった図面を見たら作業の全体がだいだい頭に浮かぶ。例えば、どの大きさの門型枠がどこにいって、階段枠がここに入ってくるから、この順序で足場材を運んでいこうとか、全体がうまく流れるように段取りを整えるのも得意だ。だから、親方の石川浩介だって俺のことを重宝していて、都会から離れた現場まで連れてきた。
「あっちの現場は忙しいから、瞬みたいな要領が良い奴がいるんだよ。一緒に行くぞ」
そうまで言うから、わざわざ来てやったのに。
同じ金をもらうんだら、とっとと終わらせた方がいいに決まっている。
だから、今日も、さっさと仕事を切り上げたいと思ったのだ。
次の作業をしなければいけない足場がすぐ先にあるのだが、間隔が空いているのでいったん地上まで下りなければならなかった。階段は目的の足場の反対側に据え付けていたので、結構戻らなければならない。もちろん、石川や他の職人が一緒の時は向こうまで行って階段から下りていく。だが、段取りの関係で皆が先に行っていて、周りに人がいなかった。
面倒くさいなと思って、足場の脇からこそっと下りた。下りるといってもせいぜい数メートルの高さだ。何十メートルも高いところだったら落ちたら命に関わるが、ここだったらたいしたことにならない。
確かに、前にも注意されたことがある。石川に見つかって、こっぴどく怒られた。だから、誰からいる時は絶対にやらないようにしていた。
下りきった後に周りを見て、誰もいないのを確認した。だから何食わぬ顔で、皆が作業している隣の足場を上がっていったのだ。
そうしたら、しばらくして元請けであるコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の車がやってきた。現場の安全衛生担当の皆川次郎が車から出てきて、大きな声で「石川さん! 全員を連れてきて下りてきて! 作業を止めていいから、すぐに下りてきて!」と俺たちを呼びつけたのだ。偉い剣幕で、ぱっと見で憤慨しているのが分かる。
何かと思ったら、俺のことだった。
タブレットを取り出して、現場内の撮影映像を皆に見せて、「武田さん。君か。なんでこんなことをやったのか! 安全な通路を使ってくれと何度も何度も言っているだろう!」と怒鳴りつけてきた。
監視カメラで人工知能(AI)が不安全行動を自動認識して警告を発信したのだという。
ここは監獄かよ、と思った。
石川は、青い顔になって「すいません! 申し訳ございません!」と皆川に頭を下げた。
だから、皆川に合わせる形で「すいません。気をつけます」と謝った。
ただ、心の中では、面倒くせえなあと思っていた。こんなのどうでもいいから、とっとと今日の作業を終わらせようぜと、言いたかった。火に油を注いでも仕方ないから、口には出さなかったが。
そろそろいいかと思って頭を上げて横を見ると、石川がわなわなと怒りに震えていた。
「瞬! 前にも言っただろうが! お前、自分がどういうことをやってるのか分かってるのか!」
そんなこと言われても。
戸惑っていると、たたみかけて怒鳴り散らして挙げ句の果てに「もういい。瞬、お前は帰れ。荷物を持って出ていけ!」と言いやがった。
さすがに俺も頭にきた。
この現場だって、くそ忙しくて、作業全体が遅れ気味だ。その中で無理して頑張ってやってやってるのに、そんな言われ方をされるのは心外だった。
「ああ、分かったよ。出て行けばいいんだろ! ああ、出て行くよ!」
皆が俺の方を見ていた。胸糞が悪かった。
足早に現場の入り口に戻ると、ちょうど宿舎に行く送迎バスが待っていた。早上がりのメンツに混ざるように乗り込んで宿舎に戻ると、ドラムバックに入るだけの荷物を詰め込んだ。送迎バスの運転手に、「急用ができたからバス停まで送ってほしい」と頼んでいたのだ。快く待っていてくれて、下り際には「お疲れ様でした」と言ってくれた。
飛び出してきたものの、行く当てなどなかった。被災地の交通網はまだまだ回復途上で、この時間では実家までたどり着けない。内陸の街でビジネスホテルを探して、とりあえず一泊することにした。
そして、夜の街に繰り出してきたのだ。
宿舎と現場を往復する毎日だったので、居酒屋で飲むのは久しぶりだった。焼き肉をたらふく食べて、勢いがついてきたので、呼び込みと交渉してキャバクラで騒いできた。現場では重たい物を持つことが多い。筋肉質の身体を少し見せてやると、女の子から「鳶職人って格好いいね!」とちやほやされた。何人か入れ替わったが、店を出る時には最初の女の子も出てきて見送ってくれた。一番感じが良い女性だった。
エレベーターに乗る前に「実は私、沿岸の街の出身で実家が大変なことになったんです。だから、こうやって復興に手伝ってくれて本当に感謝しています。よろしくお願いします」と言われた。
「お、おぅ。もちろんだよ」とだけ返した。
翌朝、腹が減って、近くのコンビニに出かけた。
向こうから小さい子どもを連れた母親達が歩いてきた。朝から大笑いして話している。
すると、よちよち歩きの子どもが歩道から急に下りて車道に飛び出した。
後ろから車が来ていた。
危ないと思って、慌てて手をつかんで、歩道に戻した。
「危ないじゃないか!」
横にいた母親に言うと、「ごめんなさい。ありがとうございます」と軽く頭を下げられた。
そして「助けてもらって良かったね」と子どもに話しかけた。
そのやり取りを見て頭にきた。
「違うだろう! ありがとうじゃなくて、危ないから出ちゃ駄目だって、しっかり叱れよ。
そうしないと、また何度もやるぞ。
あんた母親だろ、しっかり怒らないとガキはわかんねえだろ。俺にお礼する暇があったら、子どもにしっかり言えよ!」
吐き捨てるように言って、その場を離れた。
どこまで通じたか分からないが、あのままでは子どもがかわいそうだ。
携帯電話が鳴った。親方だった。昨日から10回目。一度も出ていない。
武田は、携帯の画面をじっと見ていた。
昨日の夜にメールが来ていた。
一呼吸置いてから、メールを開いた。
「ちゃんと飯食ったか。体が資本だからな酒ばっかり飲んでんじゃねーぞ。
前にも言ったかもしれないが、一流の職人っていうのは、仕事が早くて、五体満足に家に帰れる奴なんだ。安全を馬鹿にすると痛い目に遭う。どんなに腕があっても、怪我したり命を亡くしたりする奴は一流じゃない。
一度だけチャンスをやる。さっき社長とCJVの所長と話をした。二度としないなら、1回だけ呼び戻していいと言ってもらえた。明日の朝電話する」
武田は、立ち止まったまま、メールを見ていた。
時間が過ぎていく。
もう一度、携帯が鳴ったらどうしようか。
そればかりを考えていた。
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