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ゲンバノミライ(仮)第1話 警備員の山さん

第1話 警備員の山さん

「ちょっと待ちなさい! みんなが付けなさいって言っているじゃないか!」
「なんでそんなこと言われなきゃいけねえんだよ!」

よりによって、うちの前でやり合わなくてもいいのに…、とは思わなかった。20メートル先の路上だったら、警察のような人間でしか介入できない。でも、ここは公道だが、現場の前だ。通学の見守りを終えて家路に向かう途中に顔なじみの老人が、口論する二人に怪訝なまなざしで見つめてから、自分の方にちらっと視線を投げかけてきたことも見逃してはいない。何より、やり合っている二人自身が、苛立ちと同時に、諍いが止まらない方向に進んでいることへの不安を募らせているようにも感じていた。

そろそろが良い頃合いかなと、ゆっくりと近づいていった。

「これ、良かったらどうぞ」

防寒ジャンパーの右ポケットから個包装された使い捨てマスクを一つ取り出して、二人の視線が届きそうなところから、声を掛けた。大型ダンプも通る国道だが、山並史郎の甲高い声は、どんな場所でも通りやすい。ぽっちゃりよりはもう少し大きめな巨漢と声色とのギャップが、子どもの頃はいやで仕方が無かったが、まさか、こういう仕事で力を発揮するとは思わなかったが、ものすごく役立っている。

目の前に立つと、手に持ったマスクを、ネクタイを締めたマスク姿の中年男性に差し出した。
二人とも、きょとんとして一瞬、言葉が止まった。
男性は「なんで私に?」とつぶやいてから、再び声を荒らげて、「渡すならこっちでしょうが」と言い放った。高校生風の若者も、「そうだよ。何やってるんだよ」と同調してきた。

「ああ、そうですね。はい、あなたにもお渡しします」
そういって、右ポケットをごそごそして5枚ほどのマスクの束を取り出すと、そのうちの一つを若者に手渡した。若者が素直に受け取ってくれた。少しほっとしてから切り出した。

「実はこれ、皆様にお配りしているのです。ここ見て下さい。小さくマークが付いているでしょう。あそこに掲げている旗と同じマークです。ノベルティーグッズっていうんですかね。宣伝ですから、お気になさらないで下さい」
そういって、10メートルほど先にあるゲートの上でなびいている旗を指さした。
「何かの時にために、予備としてお持ち下さい。あんまりお薦めはしませんが、裏返しで使ったら、マークは見えません」

そう言って若者の方を向くと、「ああ、はい。ありがとうございます」と小声で返事が来た。
「いえいえ、こちらこそ、工事でご迷惑をおかけして、申し訳ございません。完成までには、まだもう少し時間がかかります。地下をやっているので周りからはわかりにくいのですが、順調に進んでいます。
完成すると、道が広がりますので、その時には快適にご通行できるようになる予定です。もうしばらくお待ちいただけないでしょうか」

そう頭を下げると、中年男性も小さく会釈を返してくれた。

「ありがとうございます」
二人に笑顔を投げかけた時に、ゲートの方から「山さーん!」という大きな呼び声が飛んできた。3人とも見えるような位置に左腕を差し出して時計に目をやった。7時45分だった。予定された搬入車両が来る時間だ。
「車両が入る時間ですので、失礼致します。どうぞお気を付けて行ってらっしゃいませ」
その言葉をきっかけに、自然と3人は離れていった。

「山さん。そろそろ山留め支保工が入ってきます」
現場監督の中西好子が、地図上に車両位置が表示されたスマートフォン画面を見せてくれた。二つ先の信号から、こっちに向かってきている。
「わかりました。本日も気をつけて誘導します」
「よろしくお願いします」

「いつもありがとうございます。お気遣い、本当に助かります」
それ言って中西は頭を下げた。
「いえいえ、そんなことありません。これも大事な仕事ですから」

入り口を見渡せる現場事務所の窓から、中西がこちらを見ていたことにも、当然気付いていた。切り上げる良いタイミングを見計らってくれていたのだろう。30歳前だろう。まだ若いが、周りのことをつぶさに観察して何気ない表情で的確に動く姿には、いつも感心させられる。

これがチームワーク。

さあ、今日もこれからが本番。
交通事故がないようにしっかりと働こう。

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