こうだ ともこ Gemo(画家/全身芸術家)

画家/全身芸術家ニューヨークと日本を往復して絵を描きまわる。絵を描きたい環境と交流を工…

こうだ ともこ Gemo(画家/全身芸術家)

画家/全身芸術家ニューヨークと日本を往復して絵を描きまわる。絵を描きたい環境と交流を工夫して過ごす画家。私にとって、”アート”とは、クリエイティブだけでなく話す言葉、ジェスチャー、ファッションのスタイルなど全部。全てが表現であり、芸術だと思って暮らしています。

最近の記事

小さくなってるとき

自分のことが小さく小さく見えてしまう時がある。 それが辛いとか嫌だとかではなくて、そういう日にその気分の狭さだけで過ごしたいのであります。 小さくしていたい時。(むしろ大きく見せようとしたことなんてほとんどないと思ってるけれど)。傷とか疲れとかを見てる。辛いというか、痛いというか、生きてることしかできない、傷ついてうずくまってる気持ちに包まれている日。 そんな時、そのまま小さく存在していたくてゆっくり、丸くなって、1ミリも動かず毛布の心地いいところを探して、とても小さくなっ

    • 初めて歌ったこと

      経緯は、2024年、歌手の玲子さんがわたしの個展に訪れ、絵を見に来てくれたことが始まりでした。 じつは、玲子さんは、同じ美術の学校を卒業した一個下の後輩だったんですが、絵の芸術活動はせず、なんと歌を歌い続けている素敵な人です。 2024年5月、玲子さんがわたしの個展へ二度目の再来。教えないお絵描き教室「お絵描きパッション」に来てくれた際、何かのきっかけでいろんな話をして。玲子さんはわたしが’’音楽に対してずっと想いを馳せ、尊敬し、でも自分は奏でない人できない人だからと思って

      • +10

        絵画、最近の10枚

        • 久しぶりの再会 Jordi

          【テレパシー級に、何故かとても気が合う!!!】 アーティストフレンドのJordiから、なんと、浦野くんのうどん屋さん(岐阜県の郡上八幡/翔太のうどん)にいます!とメッセージもらい・・・『つまり来日したということぉ?!』Yes!!! . で、🚙考えずにマッハで会いに行ってきた! (9月この日しか前後動ける休みがないのに気付いた巻き巻きスケジュール) . 9ヶ月ぶりくらいに会ったJordiは、マダガスカルとブラジルとタンザニアとLAなどに行ってた写真見せてくれて、何故かその時間で

          絵を描き続けるということ

          ✨絵を描く体力、(絵にすること) かける時とかけない時 かけない時にしか出てこない気分も避けないで 捕まえて、その描けなさのまま描いてみる 描くとは、そこに色や線を 決めてゆくことかもしれない ✨見てもらう体力、(見せるという意思) 自分の素直がさらけでてゆくことへの勇気 他人の感想うけとめる とっぴょうしのないもの 自分が思ってる以上に理解されてる場合 いろんな感想が、文字で、言葉で、表情で、声で 届いてくる、糧になります その日その時しか出てこない会話をなるべく

          ヘンテコな感想

          自分だけ持ってるかもしれないというヘンテコな感想を、別に共有しなくても、伝えなくてもいいと思ったら、だいぶ、許された気持ちになり、自由になりました。 ・・・というすごく素敵な感想をいただきました。 はぁー 感想を誘導したり、他人の感想に寄せて言葉にすると、自分の中に浮かんだ言葉になる前の感覚や感情をちゃんと自分に落とす前に書き換えてしまうことがあって、それは、私は、実は、嫌気がさすほど苦手なのである。 「カラフルですね」「愛ですね」みたいな、それがダメなわけじゃないけど

          リスクと喜び、感情の貯蓄と借金、とにかく回して、正解はあとから

          ノートほったらかしてましたが それだけ、自分と向き合うことを 後に置いておく日々が続いていたのかもと、 今、思ったりしてます 「久しぶりに愛知県で個展をやる」というのが 昨年末から3回続いてて、 10年ぶりくらいだったのに もう、久しぶりさが消えてきております😂 (時空は超えると回収早い😂) ↓↓↓ 愛知県岡崎市井口新町のハグカフェさんで 個展しております〜! 2024年2/8〜2/13まで☆☆☆ . ここで在廊していたら、12年以上前にフライヤー作ったことある杉浦貴之

          リスクと喜び、感情の貯蓄と借金、とにかく回して、正解はあとから

          ギリギリをたくさん味わうとギュッと押し出しかかる

          #今日まで抱えてたギリギリ #手放せばいいこと多いはずって #言われてもわからなかった . #独り言 #記録 #自分のことってわからない #俯瞰しても方向間違ってる . 最近の膨大な仕事量。1人で抱え込んでいたことも知らなかったけど、いろんな準備や仕事の回し方や打ち合わせ、見積もり、増えた直しに追われる切なさ、請求書書くの忘れてるやつ、絵の運び方、モノの借り方、濡れたポストカード、メールの確認とその漏れ…など😱、なんとかしようとすればするほど変になるし違和感来るし、うまくいか

          ギリギリをたくさん味わうとギュッと押し出しかかる

          描くのは一瞬じゃ、できなくて

          「あ!描こう(書こう)」 と思ったことの漠然なイメージ、色や風がすごい広がってる時、その"一瞬"はわりと完璧、でもどこにも焼き付いてない"あやふや"。それを、その新鮮なうちにに紡いでおがないと、次の瞬間すぐ消える・またはちょっと捏造してわからない程度に質感が変わってしまう…っていうのが私の体質や感性の中にある。(困る〜) というか、この体質のおかげで、絵にして残そうとするという運動が、私の人生の中に生まれたのだろうなぁと思う。 困ったりするのも、制作の一部で、スパイス。

          描くのは一瞬じゃ、できなくて

          「いいことありますように〜」って誘導のような幸せは、苦手

          【独り言です】 わたしは、「いいことありますように」みたいな幸せって全然好きじゃなくって(←むしろうざい感)、つまらない中にあるピカーンとした幸せ(?)が好きみたい それは例えば 時間に追われてる中で友人が撮ってくれた写真の画角がなんだかよかった、とか、その後iPhoneが泥の中に落ちた、とか😂、話が飛んでたどり着いた話が急所に刺さるとか、絶対会わないだろうところで知ってる人と出会うとか→めちゃくちゃ幸せである💛 苦手なアレ。→虹が見えたとか、星がきれいとか、桜が咲いて

          「いいことありますように〜」って誘導のような幸せは、苦手

          頭の中もカオスの発想力。でたらめなカオスではなくて、ちょうど良いよりちょっと疲れ果てたカオス。そのカオスをアウトプットしてくのは、秩序があるけどライブ感で行く。ライブ感はその時のセンスが出る出る、そして、そのカオスの分量が膨大だからこその、そこからの引き算。

          頭の中もカオスの発想力。でたらめなカオスではなくて、ちょうど良いよりちょっと疲れ果てたカオス。そのカオスをアウトプットしてくのは、秩序があるけどライブ感で行く。ライブ感はその時のセンスが出る出る、そして、そのカオスの分量が膨大だからこその、そこからの引き算。

          それこそ、つれづれ

          絵を描いていない時に思う、自分の概念。「この作品はもうちょっと時間かかるなぁ〜」と思ってる時や、「こんなに疲れては、作品制作へ取りかかれないなぁ〜」と思っている時など、の、その、頭に浮かぶ思いとは別のところで、別次元のように、絵が生まれてきてしまう時のが多いのが、私の制作意識なのです。なんでだろう。 最近見たものや感じたことなどが焼き付いてるのか、インスピレーションとは何なのか、強い衝撃、新しい感動、そんなものも、ハテナ。描いて描いて、出来上がってから、作品の気質に気づくの

          時間が空いてしまってもウォーミングアップで構えない

          ウォーミングアップが必要な感じがして取り掛かりにくい。こういうnotoのようなもの。自分の制作の中でも、「展示」「壁画」「接客」など、いつもやってること以外の、「オーダー」「企画」とか久しぶりの分野。生活の中でいうと読みかけだった本の途中からまた読み始めるときも。 でも、そういうところのタイムラグを無視できるし、いつでも再び取りかかることができるような、変な特性がわたしには備え付けてありました。 んで、時間空いてしまったものへまたもや取り掛かってみると・・・そうなの、すぐ、

          時間が空いてしまってもウォーミングアップで構えない

          小物をたくさん描く絵に転換した

          うーん、「なんか嫌だなぁ、と本心から湧き出る想いがでてくる“えぐさ”ってもしかしてチャンスかな?」というヘンテコな気持ちが、私の人生の中にあり。その中のひとつが、この時期のクリスマスムードというやつなのですが。 私の感覚なので、他の方に理解してもらえないの前提で書きますが。 クリスマスが近づいてくると、あの感じで染めてくる街やお店、テレビ、あと、それに染まってく人々の心。色や形、モチーフだけでなく、音や光や景色までどうしてそうなるそのモード。全部が、わたくし、とっても苦手

          小物をたくさん描く絵に転換した

          絵を描くってなんだろうか。

          note書こうと思ってる時と、本当に書いてる時と、書き終わってその文書や写真がSNSに放たれた後と、全部、自分の内面がゴゴゴと変りゆくので、note書こうと思って開いたのに、自分が固まってしまう時とか、ある〜。そして、どうしてそれを書いているのか〜。 今日も書き始めたはいいが、どうなるかわかりません。 画家の魂を持っているのに「画家かどうわからないんですけどこんな風に絵を描いてますが、どうやって自己プロデュースしてったらよいですか?」という感じの人に、今週はなぜだろうか、

          絵を描くってなんだろうか。

          創作意欲の泉は湧き続けている

          【壁画制作一回目】 2022.11.15 花輪中学校の三年生達 会社名はひまわり(中学校は学校の中で会社を作っているそうだ) なんと、その皆様と、壁画を描くという機会がやってまいりました。 もう、描き始める前から、緊張とか心配じゃなくて、描きたいが溢れてましたが、 ええ!なにこれ!こんなに止めどないの? こんな活字の枠じゃ伝えきれない💦 や、でも、創作って、色々をこんなに、越えるんだ!?ということが、色々を突き破って、もう、昔の常識を頭に置いてたら追いつかないほどの化学反

          創作意欲の泉は湧き続けている