見出し画像

それこそ、つれづれ

絵を描いていない時に思う、自分の概念。「この作品はもうちょっと時間かかるなぁ〜」と思ってる時や、「こんなに疲れては、作品制作へ取りかかれないなぁ〜」と思っている時など、の、その、頭に浮かぶ思いとは別のところで、別次元のように、絵が生まれてきてしまう時のが多いのが、私の制作意識なのです。なんでだろう。

最近見たものや感じたことなどが焼き付いてるのか、インスピレーションとは何なのか、強い衝撃、新しい感動、そんなものも、ハテナ。描いて描いて、出来上がってから、作品の気質に気づくので、なるべくそういうものに囚われたり計画したりしないで、「ただ、アトリエに座る、道具の前に、身を置く」みたいにして、その時間を増やそうと思ってます。

絵として出てくる内容のようなものは、いつも、解明はできないし、解明しようとすると急に空気が重くなります。
澄んだ心で探求してる感じを、一筆ずつにいれてる。

同じように、そうゆうのも言葉にするために、少しずつこうやって、noteの前に身を置いたら出てくるかなぁと思うので、「書くことを決めずにただ座る」をやってみて、そっち側の自分に備わってる勝手な力をもっと使ってみようと思っている。

でも、座ってから、キャンバスや紙の上に出てくるものを、少しずつ形にすることへの色かたちや感性の責任みたいなものとは、出てきたらその出たものと出る少し前のものとは足掻いたりして付き合っています。

そして私は、個展の時も、人の感想を聞いています。自分の絵をどういう風な時に書くかを語っているより、鑑賞者さんが放つ、そこで湧き出てくる言葉や音声を聞いてる時間の方が長くて、こういうのがいいなぁと最近ぼんやりなんとなく、そんな風に思ってたりします。



Do do that 【それやって!ピーター】
[Do do that,Dragon Peter]
F15 652×530mm ・Canvas Acryl gouache
Sedonaの砂/糸魚川のヒスイ/小笠原諸島の軽石
2023 秋田県十和田湖    (c)gemogemo


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?