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初めて歌ったこと

経緯は、2024年、歌手の玲子さんがわたしの個展に訪れ、絵を見に来てくれたことが始まりでした。
じつは、玲子さんは、同じ美術の学校を卒業した一個下の後輩だったんですが、絵の芸術活動はせず、なんと歌を歌い続けている素敵な人です。

2024年5月、玲子さんがわたしの個展へ二度目の再来。教えないお絵描き教室「お絵描きパッション」に来てくれた際、何かのきっかけでいろんな話をして。玲子さんはわたしが’’音楽に対してずっと想いを馳せ、尊敬し、でも自分は奏でない人できない人だからと思っている’’という事実を知っており、

「こうださん、あのね、喉仏が絵の具と思えば歌えるよ、いっしょいっしょ!」

って、魔法のコトバを放ったんです。

え?

そこからは早くて、
「8月に而今(玲子さんのバンド)ライブあるからオープンマイク出て!」
って。お絵描きパッション中に、玲子さんがボイトレパッションをアドリブで行い、(笑)声を出して、たぶん歌も同じ「表現だよ」いうことをわたしに定着させ、約束を放ったまま帰って行きました。

…んで、挑戦に対して『Noの選択肢がないわたし』は、その時、歌うことを決めた。そこからの3ヶ月は、この世に流れている音楽、今までなじみだったものもそうでないものも、全部が違って聞こえるようになってしまった。自分が歌うと決めたら、世界が変わってしまいました。そんな世界に生きるようになってしまった。

これ、すごい楽しいけど、すごいプレッシャー!

ライブ中に描いた絵

ライブの構成は、楽譜を見て歌おうか、楽器どうしようか、アコーディオンか、ギターか、練習しようか、など、模索しまくって、結局、一回模索したことを一通りやって、カラオケボックスに一人で行って歌ってみた。んでその構想は全部捨てて、身一つのアカペラで、歌う歌も決めずに舞台に立つしかない!と決めて出発。(この挑み方、個展と同じです)


当日も、ライブバーBURNYさんに着いたら、始まる。すごいプレッシャーだろうがなんだろうが、歌う時間はやってくるのです。ショーの中で、わたしにしかできない何かが奏でられたらいいけどなと思って、プレッシャーを構築する世界とともに舞台へ立ちました。そして、この世にない形で、よくわからないまま世界観をその瞬間へ置いてきました。
(玲子さんが助けてくれている。)

準備したのは心意気だったーーーーーーーーー
そしてプレッシャーと初めての体験が、この世に新しいわたしを吐き出した

はい。
あれから、また、音楽との距離感は変わりつつありますが。
そんなこんなで8月は、想像してなかった、変な時空世界線にたどり着いてしまいました。

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