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誰も悲しませない
おれがまだ結婚していたころ、思っていたことがある。
おれが死んだとき、子供たちが悲しい思いをしたらかわいそうだ。
それを避けるためには、おれは子供たちに嫌われていればいい。
よし!おれは子供たちに嫌われよう!!
おれは昔から本当にそう思っていて、それを達成するために、子供たちにいじわるをしたり言ったりして、実際に嫌われてきた。
もちろん、手加減はしている。
子供たちにトラウマなどを植え付けないような、そんな嫌われ方。
その結果、3年前に離婚するとき、
3人の子供たちは迷うことなく
「お母さんについていく!」
と言うようになったし、
今回みんなを家から追い出すときも、
当然のようにお母さんについていくことになった。
そして彼らは、元妻も含めて、
おれと離ればなれになることを全然悲しく思っていないようだ。
少なくともおれにはそう見える。
おれは目標を達成した。
おれがいなくなるとき、
おれと離ればなれになるとき、
みんなのことを悲しませない。
その目標を達成した。
さびしくて悲しいのはおれだけだよ😭
おれはみんなに、さびしい思いや悲しい思いをさせなかった。
おれはきっとみんなに憎まれている。
「あいつが出て行けばよかったのに!」
「そしたらおれたちがあの家に住んでいられたのに!」
きっとあいつらはこんなふうに思っているだろう。
少なくとも、「とおちゃんを追い出したらかわいそうだ」なんて思っている子は、いないと思う。だってみんなおれのことが嫌いだし。
ひとつの目標は達成された。
「みんなを悲しませない」
それはうまくいった。
でもおれはいま思うんだよ。
おれは彼らから、悲しみを泥棒したのではないかと。
彼らが経験すべきだった感情を、盗んでしまったのではないかと。
悲しい思いをするからわかることがある。
大好きな人とお別れするからこそ、わかる気持ちがある。
おれはそんな貴重な経験を、彼らから奪ってしまったのではないか。
そんなことを、いま思っている。
みんなのことが大好きなのに、
自分が悪者になって、みんなに嫌われる。
そんなことをしてしまったおれは、弱かったのかもしれない。
みんなのことを大切にして、
みんなに大好きだって言って、
それなのに嫌われてしまったら、
すごく悲しい。ショックがデカい。
じゃあ、最初から嫌われてしまおう。
そんな弱い気持ちが、おれにあったのだと思う。
どうせうまくいかないのなら、最初から壊してしまえ。
そんな弱い気持ちが、きっとおれのなかにあった。
「自分は人から嫌われる人間だ」
そんないじけた気持ちがおれにあった。
どうせうまくいかない。
きっとダメだ。
おれはダメだ。
そんな卑屈な気持ちがあった。
それを「みんなを悲しませないやさしさだ」と自分に言い聞かせていた。
ああ、おれは情けないな。
負けることを恐れず、
嫌われることを恐れず、
素直な気持ちでみんなと付き合っていけばよかった。
でも、おれの中には、そんな卑屈な気持ちだけじゃなくて、
みんなのことを大好きな気持ちだけじゃなくて、
ほかの気持ちもあった。
みんなのことはどうでもいい。
そんな氷のような冷たい気持ちも、おれは確かに持っていたと思う。
おれの心の中は矛盾に満ちている。
生きたいという気持ち。
死にたいという気持ち。
上昇していきたいという気持ち。
ダメになりたいという気持ち。
働きたいという気持ち。
働きたくないという気持ち。
変わりたいという気持ち。
このままでいたいという気持ち。
逃げたいという気持ち。
戦いたいという気持ち。
自分のことはどうでもいいという気持ち。
他人のことはどうでもいいという気持ち。
大きい小さいはあると思う。
日や状況によって、変わることもあると思う。
でもおれはこんなふうに、
毎日ゆれている。
一貫していない。
気分屋だ。
こんなヤツが誰かと一緒に暮らしたら、
その人を振り回してしまうな。
迷惑をかけてしまうな。
でも、ひとりはさびしいな。
誰かと一緒にいたいな。
きっと正解なんてない。
生きたいように生きて、
やりたいようにやって、
その結果起きたこと、
起きてしまったことを、
謙虚に受け止める。
それができていれば、いいんじゃないだろうか。
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