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Nothing's Gonna Change

昨日は家から徒歩で出発し、40分かけて金太郎温泉にたどり着いた。

金太郎温泉のことを記事にしようと思ったけど、昨日はスシローのポテサラを食べて残念な気持ちになり、おれの中の雄山が「わしが記事を書く💢」と言うので、彼に譲ってあげた。

※なお、リアルのおれはスシローで激ギレなんてしていないので(するわけない💦)、どうか引かないでください。


金太郎温泉に行く途中に、おれが通っていた小学校、魚津市立吉島小学校がある。おれはせっかくだからと、吉島小学校を見て行こうと思った。

するとなんと!
吉島小学校の名前が変わっている!!😲

おれは元々学校が嫌いだ。
小学校も中学校も高校も大学もみんな大嫌い。
子供のころの思い出には、いいものがほとんどないから。

それでも、自分が卒業した小学校がなくなってしまった、
名前が変わってしまったことについて、一抹の寂しさを感じた。

小学校の近くを歩いているときは、
心の中で吉島小学校の校歌を歌っていた。

ねえみんな!
中学高校の校歌は忘れてしまっているけど、
小学校の校歌だけは忘れてなくない?

でね、いつなくなったんだろうって思って、ウィキペディアで調べてみたんだよ。そしたら吉島小学校の波乱万丈な歴史が出てきたのよ。

吉島小学校は最初から吉島小学校じゃなくて、かつて存在した加積小学校と天神小学校が合併したものらしい。
加積小学校にも天神小学校にも100年以上の歴史があり、その長い歴史の中で名称が変わったり移転したりを、幾度となく繰り返している。

他人の小学校のことなんて興味ないだろうから詳しくは書かないけど、本当にいろいろあったみたいでさ。
場所が変わったり、名前が変わったり、設備を建てたり、壊したり。

おれは吉島小学校の歴史を見て、
なんか1人の人間の歴史みたいだなーって思った。

引っ越ししたり、
結婚して名前が変わったり、
子供ができたり、
離婚したり。

小学校にも人間にも歴史があって、
みんないろいろ変わったりしながら今も生き残ってんだな、って。

おれは吉島小学校がなくなってしまったことを寂しく思ったけど、
かつて加積小学校や天神小学校がなくなったときも、きっと同じ寂しさを感じた人がいたんだ。

加積小学校と天神小学校はなくなってしまった。
でも名前を変え、形を変え、吉島小学校としてそこに存在し続けた。

その吉島小学校もかつての加積小学校と天神小学校のように、片貝小学校・西布施小学校と統合し、「清流小学校」と名前を変え、そしてこれからもそこに在り続ける。子供たちはそこに通い続ける。

おれの人生も同じ。

おれはいろいろな学校に通い、
いろいろな場所に住み、
いろいろな仕事をし、
結婚し名前が変わり、
彼女と合併し、
子供ができたり、
家を買ったりした。

そして2021年7月に廃校になった。

おれは家を元家族にただで貸してあげて、自分は成田の会社の寮に引っ越した。
今年の1月に会社を辞めて、元家族の住んでいる家に戻る。
そして元家族を家から追い出し、そこで1人の暮らしがはじまる。

さびしいこともいっぱいあった。
やりきれない思いも、いっぱいした。

引っ越ししても、
会社をやめても、
離婚しても、
元家族を家から追い出しても、

それでも、おれの人生は続いていく。
終わらない。

かたちを変え、
名前を変え、
場所を変え、
友人を変え、
家族を変え、
仕事を変え、
いろいろなものを失いながら、
そしてなにかを得ながら、


それでもおれの人生は続いていく。


吉島小学校の歴史は長かった。
彼も、名前や場所やすがたかたちを変えながら、
これからも在り続けるのだろう。

子供を迎え入れ、
そして子供を見送り、
出会いと別れを繰り返しながら、
彼も生き続ける。

加積小学校、天神小学校、吉島小学校、片貝小学校がなくなったように、
いつの日かまた、清流小学校もなくなってしまうだろう。

でも彼は、なくならない。
おれも、なくならない。

さびしいだとかかなしいだとか苦しいだとか、
そんなことを言いながらも、ずうずうしく生き延びていくことだろう。

「それだけ」じゃないしな。
さびしいことばかりじゃない。
かなしいことばかりじゃない。

この世界に存在しているだけで、
おれは楽しいよ。おれはうれしいよ。

生きててよかったって思う。
生まれてきてよかったって思う。

もしもどこかで、かなしい思いやさびしい思いをしている人がいたら。

おれは
「それだけじゃないよ」
「だいじょうぶだよ」
って、そんなふうに声をかけたい。

いずれ別れてしまう。
いずれなくなってしまう。

そうかもしれないけど、
おれはまた誰かと出会いたい。

一緒に生きて、いつか別れる。

かなしくてもいい。
さびしくてもいい。

それでもおれはまた、
誰かと一緒に生きていきたい。

すがたを変え、
かたちを変え、
誰かと別れ、
なにかと別れ、

そうやっておれの人生は続いていく。

かなしいけど、でも、

かなしいことなんて、なにもないんだ。


すべてのものは移り変わっていく。
人は人と出会い、そして必ず別れる。
それでも、

「こんなことがあったよ」

その事実はなくならない。

いろんな思い。
かなしいとか、うれしいとか、たのしいとか、さびしいとか、くるしいとか、おもしろいとか、そんないろんな思い。

そんな思い出は、きっといつまでも残り続ける。
死んでしまっても、
「あのとき自分はこんな気持ちだったな」
っていうのは消えない。なくならない。消せない。

きっとすべてはそうやって、在り続ける。
生き続ける。

見えなくなっても、
なくしても、そばにいる。

一緒に歩いている。


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