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そこにいてくれるだけでよかった【後編】

「この家から出て行け」

元妻にそう言ってから1か月間、
おれは彼女とほとんど話をしなかった。
そして子供たちともほとんど話をしなかった。

子供たちからしたら、
「またとおちゃんがいきなり怒った」
なんていう、わけのわからない状況だと思う。

でもそこで、
これこれこういうわけで、
とおちゃんはお母さんが許せないんです、
みたいなことを言っても、
今以上に子供たちに嫌われるだけだと思った。

子供たちはおれじゃない。
結婚したこともない。
料理も洗濯もしたことがない。
この家を出て行ったこともない。
職を転々としたことがない。
お母さんに嫌なことをされたことがない。

子供たちはおれじゃない。
だからおれの気持ちはわからない。

わからないことを無理矢理わからせようとしたら、
そしたら当然強引なやり方になってしまうし、
どれだけ頑張っても反感を買うだけだろう。
それに、子供たちは母親の悪口なんて聞きたくないだろう。

そしておれ自身、自分の性格が特殊で、
人からあまり理解されないものだということを自覚している。

いろいろな視点から、
おれは子供たちと話をするのをやめた。

あちらから「とおちゃん、なんでおれたち出て行かなければいけないの?」
「なにがあったの?」みたいに聞いてくれたら、ちゃんと話そうと思ったけど、そんなふうにおれのところに聞きに来てくれる子はいなかった。

それはさびしいことだったけど、
でも納得もしていた。

おれは元妻に、怒りすぎた。

その姿をずっと見てきたから、子供たちはおれのことが怖かったんだと思う。だからしょうがない。すべてはおれの撒いた種だ。

そんなわけで、ここ1か月間、
おれはみんなと同じ家に住んでいたけど、
誰ともほとんど話をしてこなかった。

ごはんを作るのもやめた。
洗濯するのもやめた。
ただひとり、納戸に閉じこもってゲームしたり、
パチンコに出かけたりしていた。

みんなと一緒の家にいたけど、
おれはひとりぼっちだった。


でも。


夜中にリビングに降りて行ったら、元妻が丸くなって寝ている。
かわいい。
動物のように無防備に寝ているのが、とてもかわいい。

たまにリビングから、みんなの笑い声が聞こえてくる。
元妻は大変なときでも、子供の前で明るくふるまっている。

それはもちろん本人が頑張っているのもあると思うが、
彼女はもともとそういう人なのだ。

いろんなことを忘れる。

動物みたいに今を生きている。
だから片づけないし、おれの気持ちを考えない。
それはわるいところでもあり、いいところでもあった。

みんなが、それぞれの部屋でくつろいでいる。
姿はみえないけど、のんびりしている。
遊んでいる。寝ている。

たまにトイレに行く音が聞こえる。
たまに納戸の前を通ってリビングに降りていく。

おれとの会話はない。
なにもない。

だけど、


おれはそれだけでしあわせだった。


みんながこの家にいる。
そしてなんか楽しそうにしている。

それだけでおれはすごくすごくしあわせだった。

あったかい。
ここにいてくれるだけで、あったかい。

元妻。長男。次男。三男。
彼らが暮らすこの家で、
彼らが生きていることを感じる。
実感する。わかる。

それだけで、
おれはとてもしあわせだった。


そのことは、おれが彼らに
「出て行け」と言って、
実際にそうなってしまったから、
やっとわかったこと。

だからおれは、よかったと思ってる。


彼らに「出て行け」と言ったこと。
そして実際に出て行かせること。

そうしなきゃ、おれは気づけなかったんだ。

みんながいれくれるだけで、
それだけで最高にしあわせだったんだな、って。

そのことに、きっと一生気づけなかった。


人はさ、
大事な人が死んで初めて、
その人のありがたみに気づくっていうじゃん。

でもおれは彼らが死ななくても、
そのことに気づくことができた。

そのことがすごくうれしい。

自分がしあわせだったと気づけたこと。
そして実際にとてもしあわせだったこと。
こんなにもしあわせだった。
おれは生まれてから今日までの間、
一日たりとも不幸な日はなかった。
全部、毎日、すべての日が、
すべての一日が、しあわせだった。

いま本当にそんな気持ちなんだ。

きっとこれは、
みんなに「出て行け」って言わなかったら、わからなかったこと。
実際にみんなが出て行くから、わかったこと。

だからおれは自分の言ったこと、
やったことを後悔しない。


これでよかった。


明日の今頃には、もうみんなは出て行っていて、
もうこの家で一緒に過ごすことはないと思う。

貴重な、宝石のような、宝物のような時間。

それがいまからはじまる。
もうはじまってる。

最高にすてきなことが、
いまおれに起きている。

それは24時間後には終わってるだろう。
そして二度と手に入らない。

でも、だから美しいし、
だから最高なんだって思う。


こんな人生を、
こんな運命を、
こんな気持ちを、
こんな一日を、

本当にありがとう。


この世界が、
みんなのことが、

本当に本当にだいすきです。



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