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〈じ〉幸せについての覚書


クーラーのある部屋がわたしを離さない

こんにちは、じみりです



きょうのお題は

【老化を感じたこと】


中高と部活現役を駆け抜けたげみちゃん



とは対照的に
青春時代をニコニコ動画で過ごしたわたしは

もともと身体能力が高くないので
いまもあまり体力の低下は感じていません

人生で自己ベストの50メートル走の記録も高3で出したしね

8.8秒だけど…………


むしろ今の方が家にヨガマット敷いて
プロテインのんでアミノ酸摂って
よほど健康的かもしれない


でもメンタル的な意味で最近は
大人になったな〜というか、老けたな〜というか

そう思えることがありました




今までわたしは身近な人ほど
「その人の幸せ」を
自分の主観で推察しまうこと
があって


すごく小さいことなら

わたしが好きな食べ物を嫌いな人は
「この美味しさを知らないなんて」
とおもったり


身近な例で言えば

わたしを一生懸命育ててくれた母は
子育てにつきっきりになって自分の幸せを優先できず
「不幸だった」のではないか?

とか、そういうことをずっと思っていました




でも一方で、
少し視点を変えて
わたしの幸せについてはというと例えば

「少しでも良い学歴をつけて有名な企業に入ることが幸せだ」

とか

「結婚して子供をもち家庭を守るのが1番だ」

とか

すごく平たいけどそういう
どこから出たかもわからない
どこかの誰かが勝手に決めた価値観で

「わたしの人生の幸せを決めつけられる」って

とってもつまらないし
とっても無意味だし、

何より最高に無粋だなあと 

薄ぼんやりとした不満を常々抱いていました




で、気づいたのは
わたしも人の幸せを決めつけてしまうのは
これと全く同じことをしているのではないかということ


されて嫌なことを
気付いたらわたしは他の人にもしていたみたい

だから最近決めたのは


自分の幸せは自分で決めるし

どれだけ仲の良い人の幸せも
わたしの主観で憶測しないこと



わたしはずっと自分が嫌いだけど

それでもよくわからない言説のために
自分の思う理想を曲げるほど素直では無いなと気づきました



そんなことに気づくのに
こんな大人になるまでかかってしまったのだけどね



そう決めてから
わたしの幸せについて、
大切な人からの意見はありがたく貰って
それ以外の意見はあんまり気にしないようになりました


そしてわたしの大切な人が
わたしといる事で不幸になっているんじゃないか、と思うのも
失礼だからやめることにしました

わたしはきっとだれかを幸せにできるわけじゃ無いし
そしてきっと自分の力で幸せになるしかないけれど

それでも一緒にいてくれる人が幸せだといいなあと
そんなふうにおもっています


まだまだ未熟ではあるけど、

そんなふうにある意味諦められるのは
流石に歳をとったなと思わざるを得ませんでした


ゴールデンウィークはエヴァを見てずっとそんなこと思ってたから

久しぶりに会った友達に
「大人になったね、何この期間に初号機でも乗ったん?」と聞かれたりもした

僕はエヴァンゲリオン初号機パイロット
碇シンジじゃありません


エヴァは、いいぞ
(このnoteで何回エヴァの話するんだよ)



じゃあげみちゃんへのお題は


【おとなになるってココがたのしい!】



全国の青少年に夢と希望を与えてほしい


大人になりたくなかった子どもだったわたしにも聞かせてあげたい




ばいばい!

みなさんのサポートで明日を生きていきます