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【早弁】

高校時代は、とにかく何時でも腹を空かせていた。

通っていた高校には小さな売店があるだけで食堂施設がなかったから、昼時になると、生徒達は持って来た〈弁当〉を食べた。

売店では菓子パンや牛乳を売っていたのだが、それだけではとても足りないし、買い食いするお金もそんなに続きはしないのだから、やっぱり〈弁当〉が主力だった。

授業は午前中に4時限が組まれているのだが、2時限目の頃にはもう腹が減ってきて勉強どころではなくなってくる。

だから授業中にも拘わらず〈早弁〉を食うヤツが出てくる訳だ。

そのテクニックたるや素晴らしいもので、決して先生に見つかることはなかった。

僕も腹ペコなのだが、流石に授業中に食べる勇気がなかったので、2時限目と3時限目の間の10分間の休憩時間に食べていた。

全部食べたい衝動を必死に押さえて、半分は昼用に残すのである。

ところで、この高校には寮があって、遠方から来ている生徒は寮生活をしていた。

寮は学校のすぐ近くにあったので、寮生は寮に帰って、寮の食堂で昼御飯を食べていた。

そして、僕のクラスには■■君という寮生がいて〈早弁〉に憧れていたのだが、〈早弁〉をしようにも彼には弁当が無い。だから皆んなが〈早弁〉を食べていても、見て見ぬふりをして我慢するしかなかったのである。

・・・・・・・

そのことを母に話したことがあった。

「そうなん?その寮生は可哀想じゃねぇ」

「なんか、■■君ね、いっつも羨ましそうにしとるんよ」

「よしっ❗️じゃあ母さんが早弁用の〈弁当〉を、明日から作ってあげるから、アンタ持って行ってあげなさいよ」

そう言って、母は次の日から僕の〈弁当〉と■■君の〈早弁当〉を作ってくれるようになったのである。

〈早弁当〉の弁当箱は少し小さな弁当箱だったので、いかにも早弁用といった感じだった。

次の日の休憩時間に〈早弁当〉を手渡した時の■■君の驚きと歓びようといったらなかった。

・・・・・・・

母の〈早弁当〉作りは暫くの間続いた。

・・・・・・・

親にでも言われたのだろうか、後日、■■君は菓子箱を持ってウチに挨拶に来たものである。

今でも〈弁当〉を食べる時、そう言えばそんなこともあったよなぁと、懐かしく思い出すエピソードなのである。


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