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ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話7 ~Part3:本格派との出会い~

前回のお話はこちらから

太極拳との出会い

失意のうちに? 少林寺拳法部をやめた私。

中国武術への憧れそのものは残っていたのですが、あるときふとカルチャー教室の「太極拳」が目に留まります。

「そうか、太極拳か」とひらめきました。

「太極拳」は、小学校の頃買った教本があります。間違いなく中国武術です。

太極拳もれっきとした「中国武術」なのですが、あまり強くなれそうなイメージはないですよね?

どちらにしても、カルチャーセンターならまあ、気軽にできるんじゃね? と思い、まずは見学(←これ大事)をしました。

そこの先生はもう60代の女性で、ていねいで優しく、他の会員の方々も年上ばかりでしたが、和やかで和気あいあいな雰囲気、これなら続けられそう! と思い、入会したのでした。

…その後、皆さんにかわいがられて、それから卒業まで長くお世話になったのでした。

こういう環境は、合っています!

太極拳で学んだ「マインドフルネス」

太極拳教室の練習は週2回で、一回2時間ほどでした。欠かさず通い、「気功」をはじめとする基本的な鍛錬法からいわゆる型(中国武術では套路と呼びます)を一通り学び終える頃には2年が過ぎようとしていました。

ここで太極拳を学んだことは、私にとって、大きなパラダイムシフトをもたらしました。

これについてもまた記事を改めて書ければと思いますが、「強さ」とは単に筋肉の量とか体力といった肉体的なことではない、ということですね。

練習では動作だけでなく、動作に意識を向けること、動作と呼吸を調和させること、動作をしないで呼吸にだけ意識を向けること、静止した状態で体の内部の動きを感じること、など多岐にわたりますが、重視されるのは「脱力して柔軟にかつ緩やかに動くこと」です。

始めのうちは、元々体が硬く、緊張しやすい私には難しく、特に動きを伴わない「気功」などはむしろ苦痛でしたが、練習を繰り返すうちに次第になじんできました。

「脱力と柔軟さ」を知ることは、私の体だけでなく精神にもその後のために計り知れない変化を起こしたのでした。

これは、今でいう、「マインドフルネス」との関連も深く、気功と太極拳の練習が自然とマインドフルネスを涵養するための訓練になっていたのだと思います。

※以上については、また別の記事で取り上げたいと思います。
※マインドフルネスについてはこちらでも詳しく取り上げています。

これは、決して少林寺拳法では得られなかったものではなかったか、と何か今にして思えば運命の綾を感じます。

さぁ、次のステップへ!

ただ、体力は有り余る20代前半のこと、次第に緩やかな動きの太極拳だけでは物足りなくなってきます。

先生も、あくまで健康養生法としての太極拳マスターなので、武術とは無縁の方でした。

ある程度余裕が出てきたところで、目的は(武術的に)強くなることではなかったか? と思っていたところ、先生の方から「あなたも本格的な武術をやってみたらどう?」とこちらの考えを見透かしたかのように声をかけていただき、さらにその道では有名な先生を知ってますよ、と教えてくださいました。

その道とは、実戦的な中国武術のことですが、まさに私が小学生のころ夢想したものです。

先生は軽い調子で、「紹介しましょうか?」と言ってくださいましたが…。

・・・ただ、ただですね。
そこで、浮上するのは、武道系では上下関係が厳しいのが鉄板であるということと、想像だけでも練習は厳しいに決まっている! ということです。

少林寺拳法部の二の轍は踏みたくないですし、ここはよく考えるところ・・・と少し考えました。どちらかというと及び腰で、ためらう気持ちの方が強かった気がします。

・・・でも、先生によれば、「すごい先生だけど穏やかな先生よ。」と背中を押してもらったこともあり、とりあえず紹介してもらって、お会いしてから判断することにしました。

どうも先生は私に武術をやらせたかったようです^^;

そして、ご紹介いただき、その先生とお会いしてみると、言われた通り穏やかでかつ大変知的な雰囲気の、人間味のある先生でした。

一見しただけではとても武術家とは思えないでしょう。

その先生がおっしゃるには、会には一応、最低限の規律はあるけど大学の部のような教条主義的なものは一切ないこと、目的は「古伝」の武術を保存・継承することであり試合等に出ることはなく、ひたすら地味に練習すること、練習は特定の道場を持たず公園などの屋外で行うこと、集団練習はなく、個別でそれぞれの進度に応じて適時指導を行っていくこと、まず最初は「練習生」という身分で入会し、技術や練習への熱意によって正式な弟子となれる「拝師制度」という方式をとっていること、などの説明を受けました。

基本的に「去る者は追わず」なので、いつでもやめていいし、逆に、練習に熱心でなければこちらも教えない。それでもよければ、一度見学を兼ねてきてみて、と。

正直、我が意を得たり、というか、自分にとっては理想的と言える環境と判断。さっそく、次の練習日に「見学(←これ大事)」に行ったのでした。

夢かなう~本格派の武術を学ぶ

見学に行ってみると、練習は夕方から夜にかけて3時間。暗いなかを練習生の方々が黙々と練習しておられました。

基本的には一人、対打をするときは二人ですが、見る限り、誰に干渉されることもなく一人一人別のものを練習しておられるようでした。

見学を終え、この雰囲気なら、と思い入会を決意。時に大学4年の吉日(オイオイ)。

その日から、あこがれのカンフーマスターを目指す日々が始まったのでした。

ある意味、小学生からの夢がかなった瞬間です。

そこに通う他の練習生の方々は中学生から社会人までと幅広い年齢層で、先輩の立場になる方々も礼儀正しく接してくださり、距離を置いた人間関係のなかで練習できました。

ただ、練習は想像通りきつかったです。

きついと言っても「しごき」はありません。
週2回、3時間の練習の中で、教えられたことをただひたすら一人で繰り返します。一つの同じ動作を3時間やり続けたこともあります。

やらなくてもサボっても怒られません。ただ、やらなければ上達しないままなので、次のことを教えてもらえません。自発的に練習しなければ何も進まない、そういう教え方でした。

初回の練習日の翌日は、歩行も困難なほどの筋肉痛で、それが癒える前に次の練習日。

練習日は週に2回でしたが、学んだことは練習日以外でも自分で練習することが求められましたので、苦痛を押して、近くの公園で練習したものです。

当時の私の課題はこの、公園で練習すること、でしたね。一人で公園で武術の練習するのは目立って仕方がないですので恥ずかしかったです。

結果、太極拳教室は学部を卒業するとともに、先生がもう引退するとのことでおしまいになりましたが、こちらにはそれから数年(院を終了して島根の実家へ帰るまでのおよそ6年間)、お世話になることになります。

実際、6年程度ではとてもではないですがマスターにはなれません。ある程度の武術的技術や肉体的強さは身についたものの、まあ、仕方がないですね。

その道を行けばどうなるものか・・・

そうした体験で、本来ならもっと学問にエネルギーを注ぐべき時期だったのですが、仕事と武術という、学究ではないことにかなりのエネルギーを割いたことは、遠回りのように見えて私の今に至る「人間力」の基礎作りに大いに役立ったと思っています。

これは今の臨床家としての私にも大いに役立っていると思います。

修士課程は自由な時間に任せて今の私、「心理臨床家」としてのある意味基礎が築かれた時期といえるかもしれません。

特に今回書いた太極拳・中国武術との出会いは、体力とメンタルの強化だけでなく、セルフ・コントロールの力を鍛え、ADHD等にありがちな衝動性のコントロールなどにも重要だったと思っています。
(一般化するつもりはありません。あくまで、個人の感想です。)

…さて、お話があちこち飛んでしまい、時系列がもうわからなくなってしまいましたが、次回からは修士2年のお話です。

ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話7 ~Part1:院生時代に学んだこと~
ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話7 ~Part2:そうだ、カンフーをやろう!~ 

最後までお読みいただきありがとうございました。

付記

執筆中に、アントニオ猪木氏が亡くなられたとの訃報に接しました。
小学生のころはカンフー映画のほかプロレスにもはまり、新日本プロレスで猪木氏の雄姿を度々見ては興奮し活力をもらったものです。

ご冥福をお祈りいたします。

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