ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話7 ~Part2:そうだ、カンフーをやろう!~
前回のお話はこちらか
あこがれを現実に ~カンフー修行に至る回想~
…ここからは話の都合上、少年時代、学部時代にさかのぼります。私のADHDっぽさを象徴するエピソードでもあります。
さて、仕事に精を出しつつ力を注いだことのもう一つは、
「中国武術(!)」です。
いわゆる「カンフー」ですね。
いじめられっ子だった少年時代
私は小学校の頃はいわゆる「のび太」に似たタイプで、いじめられっ子でした。
ADHDのことを「のび太ジャイアン症候群」と呼んだ方がおられましたが、典型的な「のび太」タイプでした。
それもあったのか、小学校のころ、テレビで見たブルース・リーやジャッキー・チェンにあこがれ、「あんなふうになりたい」と強く思ったものです。
男の子は一度は持つものではないでしょうか。単純な肉体的強さへのあこがれを。
ただ、カンフーをやりたいと思うも、島根の片田舎に学べるところはなかったので、悶々とする日々。
ただ、小学校にたまたま同好の士がカンフーを練習するグループを作っていることを知り、仲間に入れてもらって、購入した教本を頼りにボカスカやったものです。
ちなみに、いじめられっ子でどんくさい私に業を煮やしたのか、母に柔道教室に入れられたのもこのころです。
中学でもそのグループは続きましたが、高校になってメンバーが分散したこともあり、一旦その熱は冷めますが、大学生になって再燃します。
あこがれの少林寺!と思きや
なんと、大学入学後すぐ、「少林寺拳法部」に入ったのです。(部活案内をみて、「少林寺」って有名なヤツやん! と思って短絡的に。)
これが憧れの第一歩か…?! と思いましたが…。
ただ・・・ただ、ですね。
大学の体育会系、特に武道系ってすごいところです。
そこだけ民主主義ではないというか…(個人の感想です!)
自由がない!
せっかく自由であるはずの大学に来たのにッ!
いつも自由でありたい欲求
私はそもそも、人間関係は苦手です。(でした。) 親しくなるといいのですが、関係を新たに作るということは苦手です。
今はさすがに色々な状況を潜り抜け、もまれて鍛えられましたが、当時はどうしても気後れすることが多く、引っ込み思案で、あまり人が大勢いるところは好きではなく、かつ集団行動や団体競技、上下関係など、およそ社会性というものは興味の範囲外でした。
人中をうまく泳いでいく、という処世術的なスキルなど皆無だったといっていいです。
思うに、私は何より「束縛」を嫌っているようです。
「自由」がなくなることに大変な苦痛を感じ、恐れを抱くのです。
だから、そもそも「学校」というものが大嫌いでした。
(ちなみに、「仕事」も仕事内容自体は好きでも、「束縛される」点では嫌いです。)
それは大学でも当然、維持されていたわけですので、その状態で人間関係や束縛が特にキツイ武道系の部に入るなど、愚の骨頂ですね(-_-;)
なので、入ったことをすぐに後悔。やめたくてたまらなくなります。
ただ、ご想像の通り簡単にはやめさせてもらえず、悩んだ私は、思い余って(思い詰めて?)大学の学生相談室で相談したのでした。
私のカウンセリング体験~そして、退部へ~
そこで、人生初めてで最後の(多分)「カウンセリング」を自ら受けるという体験をしました。(この時の体験はホームページに書いています。こちらへ転載いたします。)
その結果、相談室の方から部へ働きかけをしてくださり、少し紆余曲折はありましたが、無事退部がかなうことになりました。
それで、衝動的に入部した少林寺拳法部はわずか2週間ほどで衝動的に退部したのでした。
…これが、いいか悪いか、というとおそらく個人の価値観によるのでは、と思います。
ただ、これも当時の私の未熟なところだったのだと思いますが、結果として、部の方には迷惑をかけたのだと思うので、それについては今考えれば、申し訳ない気持ちですね。やはり。
(ところで、後に中国武術を学ぶようになって知りますが、日本の少林寺拳法はいわゆる中国武術とは全く異なるものでした。)
その後も、こういう、あまりよく考えずに入ってはすぐやめる、というような経験を何度か繰り返し、これはもう私の特性というものなのでしょう。
さて、それで結局、それ以降大学の部活やサークルには一切入らず、卒業までのキャンパス生活を送るのでした。
ただ、再燃した思いはまだくすぶっています。
そこへ、ある出会いがあったのです。
続きはPart3で。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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