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線香花火が消えるまで

シュッ…


僕が慣れない手つきでマッチを擦る。チチッ、と火花が散った後、小さな音を立てて火がつく。

「ほら、早く!点けて、点けて!」

「うん、いくよ」

公園の古いベンチの前。僕たちふたりは頭を寄せあってしゃがんでいる。

足元のバケツでは花火の残骸たちが水に使っている。


最後の線香花火を摘んだ君の横顔を見ながら、僕は2本の線香花火にマッチを近づけた。


〜〜〜


「僕と付き合ってください!」

蝉の鳴き声が響き渡る夏休み前。僕の声が体育館裏に響いた。

「えっと……ちょっと考えさせて?」

君は困ったように笑った。

「う、うん。全然。ゆっくり考えて」

「うん。じゃあね」

君が立ち去った体育館裏はなんだか重たい空気に包まれた。近くの木に止まっていた蝉がジジッ、と鳴いて飛び立った。


僕が君に想いを告げたのは、高校最後の夏は君と過ごしたいと思ったから。でも、まさかあんなことになるなんて思っていなかった。


家に帰ると幼なじみが当たり前のようにベットの上にいた。彼女は寝返りを打ちながら漫画を勝手に読んでいた。

「おっす。おかえり」

「おかえり、じゃないよ。なんでうちに来てんだよ」

「第二の実家みたいなもんっしょ」

「お前、勝手にゲームするから嫌なんだよ」

「まぁ、そう言わずに」

いつもの事だから苛立ってもしょうがない、と思って僕もベッドの脇に座り込んだ。

「そういえばさ、」

彼女がふいに口を開いた。

「あんた、ミクちゃんのこと好きって言ってたよね」

「あ、あ?いや、言ったけど、それが?」

「何動揺してんの?あ、まさか。夏休み入る前に告った、とか?」

「…………」

「あちゃー。図星か」

「悪いかよ!高校最後なんだし……」

「いやいや。悪くは無いよ。でも、ちょっと小耳に挟んだんだけど……」

彼女はそう言って僕の耳元に口を近づけた。


「……この夏休み中に転校するんだって」


僕は開いた口が塞がらなかった。

「なんでも親の都合で東京に行くらしいよ。知らなかった?」

「知らな、かった……」

僕は思わずスマホを取り出して君に電話をかけた。幼なじみが怪訝そうな顔で問いかけた。

「出たとして何を言うのさ」

「え、わかんない……わかんないけど、なんか、」

そこまで言った時に君は電話に出た。

「もしもし……」

「あ、もしもし。あの、えっと……」

「(夏祭り、誘えよ)」

幼なじみが小声でそう伝えた。

「あ、あのさ。来週の夏祭り、良かったら一緒に行かない?」

「え、うん。いいよ、一緒に行こ?」

「いいの?」

「うん、いいよ」

「わかった、ありがとう……そ、それだけ言いたくて」

「ありがとう、わざわざ電話してくれて」

「うん。じゃあ、また。夏祭りで」

「夏祭りで!」

切れたスマホの画面を見て思わず頬が緩んだ。

「何ニヤニヤしてんの?キモイ」

「うるさいなぁ。今ぐらいは仕方ないだろ。文句言うなら帰れよ」

「いやいや。思う存分ニヤつきな」


そんな顛末で迎えた夏祭り。夏の蒸し暑さか、それとも緊張か。手の汗が止まらず、何度もズボンで拭った。

「待った?」

後ろから声を掛けられて振り返ると浴衣姿の君が笑っていた。

「ううん、今来たところ」

「じゃあ、行こっか」

射的、金魚すくい、焼きそば、りんご飴。いろんな夜店に目を輝かせて笑う君の横顔を見る度に胸が苦しくなった。


小一時間歩いた頃、休憩のために神社の境内に座っていた。

「もうすぐ花火が上がるね」

「うん、ここからだとよく見えるんだよ」

「そうなの?」

「そう!僕だけが知ってる秘密スポット」

「へぇ、楽しみだな」

そんなことを話しているうちに花火が始まった。

「始まったよ!」

はしゃぐ彼女に手を引かれ、階段の上に並んで座った。

夜空を彩ってすぐに消えていく打ち上げ花火は儚くて、でも綺麗で、言葉が出なかった。

「私もね、君のこと……好きだったんだよ」

君の突然の告白は花火の音にかき消されずに真っ直ぐ僕の耳まで届いた。

「そうだったんだ」

「うん。でも、ごめんね?君とは付き合えない」

「うん」

「……理由、聞かないんだね」

「なんだか、聞いたらもう会えない気がするから」

理由なんかわかっていた。でも、君の口から聞かなければ夢で終わってくれそうな気がした。


君を家の近くまで送った後、僕は少し遠回りをして家に帰った。家に帰ると玄関の前に幼なじみがいた。

「ずいぶん遅かったじゃん。どうだった」

「……うん、楽しかったよ」

「その様子じゃあ……いや、なんでもない」

「うん、ごめん。今日はもう」

「わかった。じゃあ、またね」

彼女は僕の横をすり抜けて帰っていった。「またね」と言った彼女の声は震えていたような気がした。


それからはなんてことない夏休みだった。遅くまで起きて昼過ぎに起きる日もあれば、朝早くに親に起こされる日もあった。

やがて夏休みも残り1週間になっても君とは連絡を取らず、宿題の山にやっと手を付け始めた。

読書感想文の捏造をしている時、急に君から電話がかかってきた。

「……もしもし?」

「もしもし?今、大丈夫?」

「うん。どうしたの?」

「あのね、突然なんだけど……今日の夜、ふたりで花火しない?」

「花火?」

「そう!夏休みの思い出に」

「わかった。公園でいい?」

「うん!それで。じゃあ、また後で」

「うん。また後で」


僕は逸る気持ちを抑えて家を飛び出した。30分も前に公園に着くと君はもう来ていた。

「ごめん!おまたせ」

「いいよ、今来たところだから」

彼女は手持ち花火のセットを掲げて笑った。

マッチは持ってきたけどふたりともロウソクのことをすっかり忘れていた。1本ずつ、マッチで火をつけながら僕たちは花火を楽しんだ。


楽しい時間はあっという間に過ぎて、残りは線香花火だけになってしまった。

さっきまでとは違う、細い線香花火をふたりで摘んで僕はマッチを擦った。小さく頼りない火で線香花火に火をつける。

小さな火球が音を立てながら火花を散らした。


「私ね、明日引っ越すんだ」

君が不意にそう呟いた。

「そうなんだ」

「驚かないの?」

「ううん、びっくりしてる。びっくりしたし、すごい悲しいんだけど……なんて言えばいいのかな?」

僕は情けなく首を傾げた。

「ごめんね、突然で……ほんとは嬉しかったんだよ、『好きだ』って言ってくれて。でも、」

「いいよ。それ以上言わないで」

線香花火のか弱い灯りで照らされた彼女の頬は少し濡れていた。それを見て、僕の頬にも涙が伝った。

僕の涙と線香花火の命が公園の土の上に落ちた。

月明かりだけになってはっきり姿が見えなくなったけど、君が目元を拭ったことだけはわかった。

「ラスト2本だね。ほら、早くやろ?」

「うん。ちょっと風向きが……」

僕は適当な言い訳をして時間を稼いだ。まだ終わりたくなかった。もっと君と居たかった。

それでも、終わりの時間は近づいた。

「点けるよ?」

僕はマッチを擦った。小さく灯った火に線香花火を近づけた。

火花を散らす火球を見ながら僕は思った。

この恋がもうすぐ終わる。ひと夏の恋はこの



線香花火が消えるまでだから。


〈完〉

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