海外在住のある研究者のブログにおける最近の展開について思うこと

 海外在住のとある研究者のブログを、もう7〜8年は読み続けている。文章力があって、実力もあって、立派な論文も出している。でも、いわゆる高齢ポスドクだ。その立場を呪いながらも、ものすごく前向きにハードに研究する姿に惹かれていた。こうやって頑張っている人もいる、この年でメチャクチャなハードワークをしている、だから自分も頑張らねば、と自らを奮い立たせる力の源にしていた。毎日、昼食を取りながらブログを読むのが楽しみだった。

 ブログでは日本にいた研究室で、とても苦労したことも書かれていた。雑用係のように扱われて、やりたくない研究をやって、なんとかなんとか学位を取ったと。その当時のPIに対する呪いの言葉も並んでいた。私が読者である間に、海外でもラボを異動した。PIにとても感謝していることもあれば、特定のラボのPIのことをボロクソに書いていたこともあった。でも「不満」はエネルギーだと思う。PIに不満があればこそ、PIになろうと努力するのだ。いつか自分の理想のラボを作りたい、研究者ならば誰でも思い描く夢の筈だ。

 私のボスは、私の研究には口を出さない。意見や感想は述べるが、私がやろうとしている研究に駄目出しは絶対にしない(結果の解釈に対しての意見やアドバイスはある)。「やってみたら、ええんちゃう?」がおなじみの言葉だ。独立した研究が認められた環境だ。それでも私だって上司であるボスに対して不満はある。同じ研究室にいるので、コラボしているプロジェクトも沢山あって、そのプロジェクトの幾つかに対しては進め方に不満もあるし、お金の使い方にはかなりの不満がある。研究室運営という意味での不満もある。詰まるところ下は常に上に不満を持つものなのだ。それでいいんだと思っている。

 そんなわけで、高齢ポスドクの方がぞっとするような呪いの言葉を吐いていても、そんなものだろうとしか思わなかった。むしろ心の中で何度も頷きながら読み続けていた。そうして読者になって何年が経過したか分からないほどの時間が過ぎたのだが、遂にラボを構えてPIになったのだ。凄い!凄い!私は感動した。思わず名前も知らないブログの著者に対して「おめでとうございます」と声を出してしまったほどだ。これで、理想のラボが築けるだろう。かつて呪いの言葉をはいたようなラボみたいなものではなく、理想郷を構築するのだろう。どんな風にラボを作るのか本当に楽しみにしていた。これからはPIの日記になるのだなぁと。


・・・・ところが・・・・だ。


 これが、どうにもこうにもおかしな展開になっている。先日は遂に「優秀な学生以外はいらない、駄目学生はラボから出て行ってもらった」と自慢げにブログに書き込んでいた。やる気のない学生には去って貰う。ついてこなければ出て行け、うちのラボにはやる気のある大学院生、優秀な大学院生だけが居ればいいそうである。終いには学生なんていらない。学生なんて労働力としての価値があるかないかでしかないとまで宣う。

 ・・・あー、そうですかー。それって、貴方がかつて憎んだPIと、何処が違うのだろうか?と思う。やる気も優秀かどうかも、PIの独断で決まり、PIが駄目と一度でも認定したら追い出す。一部の優秀な学生を贔屓して、そうでない学生は相手をしない。名前も知らない方のラボのことをとやかくいう権利はないのだが、理想のラボはそんなか、と。とても残念な展開で、色々と考えさせられている。

 かつてPIに対して呪いの言葉を吐いていたが、このところのブログを読んでいて見方が180度変わった。恐らくだ。この方は自分が下の立場だった時は、研究以外のことに少しでも時間を消費する上の立場の人間達を全て馬鹿にしていたのかもしれない。自分より時間を研究に使わない上の人間を馬鹿にしていたのだ。昔のリゲインのCMのように、24時間を研究に使わない人間を馬鹿にして、駄目認定して生きてきたのだろう。そして今度は自分が上の立場になったら、下の人間が自分よりも仕事をしなかったら腹がたつのだ。メチャクチャな論理展開だ。

 もっと悪いことに、研究者の存在価値は研究成果としての論文しかないと思っているように見える。開設したばかりのラボで、ビックペーパーを出せるプロジェクトばかりを練っている。周りにいるビックペーパーのない人を馬鹿にしている。自分が論文を出してきたジャーナルのIFを連呼して、そのIFより上のジャーナルに出したことのない周りの研究者をIFの数値で示して馬鹿にしている。周りの人間を敵にするか、見下しておくかしないと生きていけないようにすら見える・・・なんと、恐ろしいことか。

 IFを馬鹿にしていた、かつての面影は微塵もない。ビッグジャーナルを連発して、自分の価値=IF、研究者の価値=如何に高いIFの雑誌に論文を出せるか、になってしまった。このプロジェクトはIFXXのレベルに・・・と実験を始める、いやプロジェクトを企画する段階から投稿雑誌のIFを設定する姿に恐怖を感じる。狂気の沙汰だ。たぶん、この方は研究者であって、教育者ではなかった。だから大学にラボを構えちゃいけなかった。常に学生が来る学部のラボというのが最悪だ。研究専門機関に一人でラボを構えれば良かったのだ。

 長年の読者として、このところの狂気に満ちた展開が悲しい。百歩譲って研究者としての姿勢は理解できるし、目指しているゴールも分かる。新規に構えたラボで結果を出さなければと焦る気持ちも分かる。恐らくは相当なプレッシャーがかかっているのだろう。だが、しかし、大学には研究者を目指す人間以外はいらないと本気で思っているのだろうか。頭の良い人の考えることは全く分からないな、と溜息が出る。

 そのブログを読みながら昼食を食べるのが楽しみだったが、この所は読んでいて反吐がでる感じなので、昼食時には読むのを止めるようになった。

 IFって本当に恐ろしいな、と思う。どこかの学会でお会いしたりしないようにしなければと思う。私もIFの数値で評価されて見下されるのだろう。たまったもんじゃない。

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