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360_昔話36

昔話36
普段自分語りする機会ってあまりないと思う。語ったとしても話がバラバラになっちゃったり、聞いてもらえなかったりしますよね。なので興味がある人だけ読んでくれればいいし、長いから飽きちゃうかもしれないけど興味を持ってくれる方のために一生懸命伝えていきます。

ろくに勉強もしてきていないし、失敗続きの道を歩いてきたのに、プライドが一丁前で、「でも、だって、いや」が口癖の人間。私だ。昔の私だ。

中学生から勉強に手を付けずに遊んでいた。しかし、顔や雰囲気からなんとなく出てくる自信満々な最もらしさが言葉に乗り、周囲の人を納得させる。高校生になっても変わらずに、キャラで押し切って、いじる側の生徒になっていた。
その頃私には、ある固定観念でいっぱいになっていた。それは「男なら〇〇」というものだ。男なら知っていなければならない。男なら奢るのが当たり前。男なら曲げてはいけない。などの考えが、知らぬ間に植えついていた。多分、何も知らないからダサい、割り勘だからカッコ悪いという印象がいじられる側の生徒になると思っていた。そっちの立場になるのが怖かったのだろう。

知らないけど知っているような反応をしたり、親のお金で女の子に奢ったり、一度言い出したことをバレない程度にやってる風に見せたりしていた。いつしか、学校内では出来るやつ風のキャラになっていて、それを壊したくないが為にさらに知ったかぶりをかますようになっていた。

高校を卒業してもそれは変わらず、どこのコミュニティでも変わらずのキャラを貫き通した。しかし、それは社会に出ると全く通用しなかった。知ったかぶりや、やってる風は大人には簡単にバレるのだ。
大人との会話の中で徐々にばらされていくあの感覚がなんとも恥ずかしさがあり、とても嫌な気持ちになる。嫌な気持ちになる原因が、キャラにあることが明確ならもうそのキャラをやめてしまえばいいのに、私はそんな選択はできなかったのだ。

私はキャラを守り通すために、バレたコミュニティとは縁を切り、別のコミュニティに映るという技を身につけるのである。都合のいい人間なのだ。こんなことをしてきたからこそ、振り返っても何も残っていないのだ。

そんな私の中にはもちろん何もない。そう、そんなあなたの中にも何もないのだ。
20年生きてきても、空っぽの人間は意外と多くいて、多分私のように都合よく知ったかぶりをして生きている人間が多くいると思う。

26歳の現在はそんな情けない私のキャラはいなくなっている。そのキャラをどのように克服したのか、それは、今の私自身を認めてあげることだ。

自分はクズだ。とまでは行かなくてもいいが、何も知らない何も出来ない人間だと自覚すること。そうすることで、あるゆる人の話がどんどん自分の中に入ってくるのだ。人間の容量はタンスのようになっていて、何かが入っているとそこに新しいものが入らないようになっている。昔の私のように、知ったかぶりをしてしまうと、タンスの中にものが入っているものだと勘違いしてしまい、新しいものが入らなくなってしまうのだ。
だから、私はまだ何も知らない、何も出来ない人間なのだと自覚することによって、タンスを一旦空にして、そこからものを詰めていき取捨選択することが大切なのだ。

しかし、ここで重要なのが、必ず自分と誰かを比べて、ここは自分の方が少し出来ると自信をつけることだ。そうしなければ何も知らない何も出来ない自分と自覚した時に、落ちるとこまで落ちてしまうからだ。少しくらい自信がないと人間は前に進めないものである。だから、何も出来ないと認めた上で、ここだけはちょっと自信あるという長所を一緒に見つけてあげてほしい。

今一度自らを見つめ直してほしい。無理して背伸びしていないか、余裕がない暮らしをしていないか、何も結果が出せていないか、思い描く自分になれているか、そう感じる方々には是非今の自分のことを認めてあげてください。


noteは、普段考えていることを文字で吐き出す
Instagramは、普段考えていることを形にして表現する

写真撮っているので見てください
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