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昔話②

昔話②アカペラサークル
普段自分語りする機会ってあまりないと思う。語ったとしても話がバラバラになっちゃったり、聞いてもらえなかったりしますよね。なので興味がある人だけ読んでくれればいいし、長いから飽きちゃうかもしれないけど興味を持ってくれる方のために一生懸命伝えていきます。

今回は普段からよく聞かれる、アカペラサークルのことについて話していこうと思います。

私は大学1年生の始めからアカペラサークルに所属している。今もまだ所属している。
22年間音楽に無縁だった私が何故アカペラサークルなのか。そして、何故今でも続けているのかなどをただ書き連ねていこうと思う。

所属するきっかけなのだが、これは単純に誘われたからだ。
1年生の4月頃の私はサークルの新入生歓迎会に連日参加していた。大学を卒業した友人の「新歓はたくさん行った方がいいよ」の一言で、興味がないサークルの新歓にもただ飯くらいに参加していた。ひとり暮らしのため、飯を食わせてもらう事は本当に嬉しい事だった。
4月3週目の土曜日オールラウンドサークルの新歓に参加している際、同じ学科のちょっと喋ったことのある女の子Aさんが「今からアカペラのインカレサークルに行く予定だった友人がいけなくなって困っている」と言っていた。その瞬間私は、インカレって何だと疑問が湧いた。聞けば、いろんな大学の人々が集まっているサークルということだ。当時私は入学した大学が心底不満であった。いわゆるFラン大学で、私自身満足いかず通っていた。さまざまな大学生と関われるこんな機会二度とないぞと思いすぐさま「俺歌うまいよ」って言ってその子と一緒にアカペラサークルの新歓に向かった。まあカラオケ好きだし、声低くていい声だねってよく言われるし、その時はアカペラとか歌とか関係なしにインカレサークルに興味がった。

新歓会場のサイゼリヤに着いたとき少し驚いた。しっかりしてるって印象があった。係の人がしっかり誘導していてこのサークルの誠実感が伝わってきた。次に、人の多さに驚いた。すでに誰かとお喋りをしている方は上級生なのだろう。もじもじしている方は新入生だろうな。その数は目視だけでも100を超えていた。いや、120くらいか。本当に多かった。
私たちはふたりで緊張しながら席に案内された。そこには誰もいなくて座ろうとしたら上級生がきた。調子がいい元気な女性とこれまた調子が良い元気な男性が目の前に座った。「気軽に座っちゃってね。始まるまでまだ時間あるから」と元気な女性が気を使ってくれた。その後すぐ会が始まりあっという間の2時間が過ぎた。その2時間は、ずっと4人で話し続けた。雑談から始まりサークルの魅力やプライベートまでさまざま。1番印象に残っているお話は、元気な男性の「アカペラサークルだけどアカペラしなくて良いんだよ」の一言。一見全く意味がわからない一言だがすぐ納得するのだった。「僕たちのサークルライブは全てサークル員だけで作っているんだよ」と。衝撃だった。照明、演出、広報、パンフレット作成などなどを全て学生サークル員だけでやっているらしい。バンドに所属せずに照明一筋、演出一筋の方々もいらっしゃるとのこと。またライブ映像を見せてもらった際に、各バンドの演奏もさることながら照明や、演出もすごい。ここまで熱く何かに取り組んでいるサークルを私の大学で見た事がなかった。すぐ入ることを決めて、一緒に行ったAさんにもそれを伝えた。大学生の可能性、これからの私にワクワクが止まらなかった。
ここまでで学んだ事は、「幾つになってもノリとタイミングは大事」
インカレサークルを知らなかった私に、教えてくれたAさん18歳に、ついていく22歳。奇妙だね。


サークルに入ってからは刺激の連続だった。今まで、小中学校の授業にしか接したことのない音楽。しかも、声だけで奏でるアカペラ。偏差値60超えの現役生たち。何もかもが今までの人生にないものばかりだった。私はそこで生きていることに楽しさはもちろん、心のよりどころ、居場所と思っていた。1年目は無邪気にアカペラを楽しんでいればよかった。多くの先輩方が私を赤ちゃんかのように褒めちぎってくれた。みんな歳下だったけど。しかし、2年目になり組んでいたバンド2つがいきなり解散した。時が進むにつれて好きになっていったアカペラがいきなり遠ざかってしまった。あのメンバーであの曲を演奏する事はないと思うと悲しくなったがそれと同時に、「私がやりたい事自由に出来るな」とも思った。
もともと「私」という人間は、私の意思でしか動いた事がなかったのにね。アカペラに関しても受動的になる必要もないな。

私がバンドを立ち上げよう。

そう決心した私は早速メンバーを集め始めた。
「好き」か「興味ある」人を誘った。6人混成バンド。
もちろんメンバーは全て私が誘ったし、歌う曲も私自身が楽譜を書いた。
音楽の経験がなかった私は楽譜の書き方なんてわからなかった。なので、先輩に教えてもらうことにした。
私に楽譜を教えてくれた先輩はとても優しく私を導いてくれた。能力向上はもちろん、基礎や応用、ケーススタディまでみっちりと。おかげでちゃんとした楽譜が出来上がった。
「愛を伝えたいだとか」あいみょん
今でも覚えている。初ステージのぎこちない姿、未完成な演奏、ステージに立てた感動。全てが幸せで、しかし儚く、気づけば歌い終わり記念撮影をしていた。

私にとっては劇的な日も、他人にとっては日常

そう言わんばかりの時間がサラッと流れた。
私にとってこのステージは本当に特別なものだった。この日のために、メンバーを集めた。当然断られることもあった。この日のために楽譜を教えてもらい、私のアレンジを加えた。この日のために何度も練習を積み重ね、練習後には今後の予定もメンバーにアナウンスした。この日のために、ステージに立てる時間を嘘ついて15時前後の最も人の集まる時間帯にしてもらった。
観客の、サークル員の反応、手応えはあまりなかった。
悲しかったな〜悔しかったな〜。今でも当時のステージを聞き直すことはあるが、うまいとは到底言えない。でも悔しかったよ。

サークルの夏ライブに出ることを目標に掲げた。
50~60バンドある内の、10バンドほどしか出場できない狭き門。
夏ライブ用に新しい楽譜を書いた。今回用意する楽曲は、吉澤嘉代子さんの「地獄タクシー」。音を取ることが難しく、間奏をどうアレンジするか、リズムの取り方が難しかったり課題が山積みだった。0〜10まで私がやるより他のメンバーや私よりもはるかに詳しい人が身近にいるならその人に聞いた方がいいに決まっている。しっかり頼ろうと思った。楽譜を先輩に頼んだところ、「地獄タクシー」だけでなく「愛を伝えたいだとか」までもアレンジしてくださった。もう頭が上がりません。ありがとうございました。歌い方やリズムの取り方などは他のメンバーに頼りました。練習の甲斐もあり夏ライブ出場が決定した。夏ライブのステージはどこよりもキラキラしていて、どこよりも特別なものだった。このメンバーで立てたこと、初ステージのときを見返せたこと、何よりも貴重な経験をありがとう。
このメンバーとは、よく飲みにも行ったし、遊んだし、バンド最後の日はプレゼント渡しあったしサプライズされたし、旅行行ったし、まさか年甲斐もなくこんなに楽しい日々を過ごせるとは思わなかった。
サークル活動は片手間にと思っていたが、こんなに楽しくいい思い出を残せるなんて思ってはいなかった。

やはり、いくつになっても挑戦してよかったなと思った。夏ライブ後の楽譜は、他のメンバーと相談して作ったが、もちろん私がひととおり作ってから。
歌もたいして上手くはなかった。なのに私はずっとベースパートだった。入った時よりかは上手くなったしじゃなきゃライブ出れんしな。あと、楽譜を書き始めた時から徐々に上手くなっていった気がする。

音楽系サークルに入る挑戦、楽譜を書くという挑戦、ライブパンフレットページを撮影させていただいたこと、アカペラ以上の友人ができたこと、など多くの経験をさせてくれたアカペラサークルに感謝しています。
あと一年活動はありますが、この状況じゃ一体どうなるかわかりません。しかし、私ができることやりたいことで全力で恩返しができればと思っています。
1番直近の本当にただの昔話。読んでくださりありがとうございました。


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写真撮ってるので見てください
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