見出し画像

流れ星の正体 #ショートストーリー

「あーーーぁ」 
 呼び出された教員室から戻るなり、叫び声にも似たため息をつきながら、凌は教室の机に突っ伏した。 
 だらんと前に垂らした右手の先には、担任から長いお小言付きで返されたばかりの進路希望調査票が、かろうじて親指と人差し指の先に挟まれひらひらしている。
「…くっそ」 
 小さく吐き出された言葉が、誰もいない放課後の教室をあてもなく浮遊した。

 高校3年生の秋はとにかく忙しい。 
 いつもなら彼も、熱心に親から勧められた駅前の進学塾へと足を向けている頃だが、今はそんな事どうでもいい。とにかく、ここから1ミリも動きたくない。この気怠い体も、どこからか次々と湧き上がる苛立ちも、周囲から向けられる期待や願いも、全てが面倒でしかない。 
 
 何より、この感情をどうすることもできない自分自身に嫌気がさして、窓の外に視線を放り投げる。やがて右手に生まれた破壊衝動をぐっと抑えた途端、指先のそれは落ち葉のように教室の床を舞った。
「何やってんだよ」 
 聞き馴染んだ少し低めの声が、柔らかく、不意に降ってきた。 
 くいっと顔だけを、声のするほうへ向ける。

「ハルか。いつからいたのよ」
「さっきね。彼女じゃなくて残念な」
「この前振られたしぃー」
「ははっ、またかよ」 

 声の主である遥斗は、太陽のように明るくにかっと笑いながら凌の前に座った。
 気付けば、どんよりと空を覆っていた雲の切れ目から、淡く七色に光る天使の梯子が下りている。
 凌は少しだけその光景を見つめ、机にへばりついていた体を無理やり起こした。

「乙女心となんちゃらって何よ。純な俺の心がまじ傷つくわ」
「それって元は、"男心と”らしいよ」
「えっ?何それ?」
「彼女いても、すぐいろんな子に気が向くだろ?」
「うっわ、何も言えねぇ」  

 にっと遥斗が笑う。

「それよりほら、これ」
「あー…」 
 遥斗が拾い差し出した例の紙を、力が抜け切ったままの右手でゆっくりと受け取る。

「ここにきて志望校一個も書かずに出すって、やるねー」 
 いたずらにそう言う遥斗と目が合った途端、凌は思わず天を仰いだ。
 どちらかと言えば感覚派の自分とは反対で理論冷静的な遥斗。その眼差しが時折、己の真ん中に隠してある誰も触れたことのない小さな扉を開け、その奥まですっと入り込んでくるように感じられて、ほんの少しだけ怖くなるのだ。

「…やりたい事ねーのに進路ってさー」 
 なおも真っ直ぐ自分に向けられた視線に耐えかねた凌が、ぼそっと小さく呟く。

「ふーん」と遥斗は適当な相槌を打ちつつ、いたたまれなそうに視線を泳がせる凌の姿をしばし楽しんでいたが、やがて何か閃いたように彼のカバンをのぞき込み、
「まだ付けてんだ、このツアーキーホルダー」
と言って話題を変えた。途端、半分拗ねたように仏頂面だった凌の顔がぱあっと明るくなる。

「マジであれは凄かったよな。ほんっとチケット取ってくれたハルのおかげだよ。俺、全滅だったし」
「そうそう、何回でも感謝しろやー」
「してるしてる。ってか、あのでかいスタジアムにあんないい音どうやったら出せるんだろな。2曲目でやってた炎の演出もどうやって操作してんのか超気になるし。あと最後にビジョンに出た映像、すげーかっこよかったよな」
「またかよ。ライブって言ったらさ、メンバーとか曲の話でしょ?」
「え?してんじゃん?」
「いやしてねーし。ったく、相変わらずだな」 

 二人で幾度となく交わした思い出話だが、この微妙な視点の合わなさ加減はもはや鉄板ネタだ。

「まっ、らしくていいけどね。今頃、白紙でこれ出しちゃうあたりもさ」 
 途端にふてくされ顔になり、再び机に突っ伏す凌。 
 それを見てゲラゲラと大笑いする遥斗。 

 校庭から聞こえるサッカー部の賑やかな声が、心地よいBGMとなり教室を漂う。

「…なあハル。宇宙のエンジニア?なんでなりたいと思ったん?」 
 少しの沈黙の後、凌は尋ねた。
「あー、それね。覚えてる?昔、お前のお母さんの実家に俺も連れていってもらったこと」
「あったねー。…と、小5、だっけ?」
「そう。うちの親仕事ばっかで夏休みどこにも連れてってくれないって文句言ってたら、お前のお母さん、うちの親に相談して一緒に連れていってくれて」 

 二人は、同じ団地で生まれ育った。 
 親同士が元から仲がよく、生まれる前から既に互いの家を頻繁に行き来していたので、いわば胎内記憶からの幼馴染だ。

「山と川しかないとこで、毎日外で遊んでがっつり日焼けしたっけなー」
「そうそう。あそこで見た満天の星空にすっごい感動してさ」
「確かに、あれも田舎ならではだね」
「でさ、その年の冬に来た流星群、二人で見たじゃん?」
「あー、親父に近くの海まで車で連れていってもらったね。流れ星見つけた数、競走したよなー。で、帰り爆睡の」
「うん。すげー楽しかった。それがきっかけ」
「え?」

 遥斗の思いがけない言葉に、凌は起き上り小法師のようなもの凄い速さで体を起こした。

「あの感動とかワクワクが忘れらんなくて、そこから宇宙の事もっと知りたくなってさ。最初は単純に宇宙飛行士って思ったんだけど、なんか違うなって。で、色々調べてったら、航空宇宙開発って面白そうだなって」
 
 幼馴染であり唯一無二の親友。そんな彼の大きな人生のターニングポイントに自分が深く関わっていたという真実を知り、凌は鼻の奥がつんとするのを必死で抑えた。

「…あのさ、ハル。その、どうなの?今」
「ん?」
「いや、なんつーかさ…。今のとこからって、宇宙どう見えてんのかなーって」 

 彼の言葉と表情に浮かぶ迷いを、遥斗は優しい微笑みでさらりと拭う。

「マジ凄いよ!地球は青いってよく言うけどさ、ホントにものすげー綺麗な青なんだよ。月も惑星も恒星もめっちゃ大きく見えるし。あと、太陽が超強烈。宇宙服の開発も面白そうだなって思ったよ」
「…そっか」 

 今度は、凌が遥斗に優しく微笑みかけた。

「でさ、気づいたことがあって」 
 急に前かがみになりながら、遥斗が囁く。
「流れ星って、宇宙のチリとかが大気圏に突入した時に燃えて出来るっていうじゃん?それだけじゃないんだよ」
「え?」
「誰かが何かを必死に頑張ったその…結晶っていうの?そんなやつがフワって浮いてきて、それが流れてできることもあるんだよ」
「はぁ?」 

 目を丸くしながら今後は自分のほうへ前のめりになる凌の姿に、思わずくすっと笑いながら遥斗は続ける。

「流れる大きさはまちまちで地上からは見えないくらいのもあるんだけどさ、すげー努力して夢を叶えた時って、とにかくいろんなもんがすっごい塊になって浮かんでくるから大きな流れ星になるんだ。でも、大きさなんか関係なく、全部めっちゃ綺麗に輝くんだよ。宝石みたいに」

 凌はその光景を想像してみるがいまいちピンとこない。それがそのまま表情に出ていたようで、遥斗はやたらと真剣な顔になりながら、
「ないと思うだろ?でもこれはマジ。誰にも言うなよ」 
 そう言って、真っ直ぐに立てた人差し指を自分の唇にすっとあてる。

「そういえば、人が流れ星に願掛けするの。あれって、夢が叶うと流れ星になるって本能で知ってるから、なのかもよ」
「何だよそれ」 
 
 まるでお伽噺だな、と凌は思う。でも、何故か否定する気持ちもまるで湧いてこない。
 もしかしたら今この瞬間も、太陽の光に遮られて見えはしないが、誰かの努力と熱量の結晶が美しい輝きを放ちながらこの空を彩っているのかもしれない。そう考えると、長い間もやがかかっていた己の心に、小さな小さな明かりが灯るような感覚を微かに感じるようだった。そしてほのかな温かささえも。

「さて、そろそろ戻る時間みたい。行くね」 
 遥斗の言葉にはっとしてもう一度空を見ると、雲は流れて薄くなり、天使の梯子はその光を僅かに残すばかりになっている。

「しかしお前、いつもいきなり来るのびっくりするわ。まあいんだけどさ」   
 すると、太陽のような笑顔のまま、遥斗はほんのちょっと俯いた。
「ははっ、わりぃ。でも俺、もうすぐ流れ星になるから、多分これが最後かも」
「…は?」

 時が、止まった。

「俺のカプセル、もう少しで大気圏に入るんだ。観測データも予定していた分は問題なく取れたみたいで、ほんの少しだけど宇宙を知るための役に立てたし。思ってた形とはちょっと違ったけど、一年近く宇宙にいれて、夢はもう十分叶ったからさ」 

 カプセルには、遥斗が入っている。 
 凌よりも少しだけ大きかったその体を、わずかな白い灰へと変えて。

「いやもう少しって何だよ!まだ全然さ!全然…」 

 今にも口から飛び出そうなほどの激しい鼓動とぐちゃぐちゃな思考をどうすることも出来ないまま、凌は必死に言葉を繋ごうとする。
 話したい事はまだ沢山ある。いや、話したいことなんかなくても、こうして他愛のない一瞬をまだまだ一緒に過ごしたい。言葉を交わせなくても、わずかな時間ただ会えるだけでいい。たとえそれが、神様の気まぐれであっても。遥斗の肉体が消えてしまった今でも。

 そんな凌の混乱を、遥斗はいつもの人懐っこい笑みで受け止める。
 そして真っ直ぐに彼を見つめながら、また人差し指を唇にあてて、ゆっくりとこう告げた。

「一緒に流星群を見たのと同じ頃、明け方前の西の空を見てよ。頑張って出来るだけ大きく光るからさ。誰にも言うなよ」 

 校庭からの声はもう聞こえない。 静寂だけが、二人を包む。

「なあ、凌。やりたい事、ホントはあるんだろ?」
「…え?」 
 
 全くおさまらない鼓動とはまた違う鼓動が一つ、凌の中でどくんと大きな音を立ててた。

「大人は大人の感覚でいろいろ言ってくれて、それにちゃんと納得してればその道いくのもいいと思うよ。でも、何も納得しないで自分の気持ち置き去りにして、その先どうなの?いいじゃん、今、自分が本当にやりたい方に進んで、その先で躓いたり感じたり、失敗して学んだ事があって、そっからあちこち方向転換したってさ。お前の未来はお前のものだろ?」 

 ずっと変わらない、誰よりも慣れ親しんだ遥斗の優しい口調。
 でもその言葉は、痛みと共に凌の真ん中へ突き刺さった。

「ライブの話してる時、いつもすっげーいい顔してるよ。俺はその時が一番お前らしいと思ってるけどね」 

 遥斗の笑顔が、その体が、きらきらと光りながら少しずつ薄れていく。
 咄嗟にその手をつかもうと凌は懸命に腕を伸ばしたが、血の気が引いたまま小刻みに震える体は思うように動かない。

「じゃあな!さっきの約束忘れるなよ!あと、明け方前、西の空だからな…」

 一人になってどれくらい経ったのだろう。
 梯子は天に戻り、濃藍となった空には星が煌めき始めていた。 

 凌は、遥斗から受け取ったものをゆっくりとしまい、暗くなった教室を後にした。

 それからしばらく経ったある日の明け方前。西の空に光る大きな流れ星を、凌は一人、あの砂浜で見送った。

***

「1分後、この曲終わったらメインビジョンの映像切り替えな」
「オッケーっす」 

 満員となったライブの初日。 
 スタジアムを包む熱狂の中、インカムを付けた凌は冷静に作業を進めていた。  
 ハイテンポな曲の終わりに合わせ、照明が一気に落ちる。
 割れんばかりの大歓声と拍手の頃合いを見計い彼がPCを操作すると、ステージ上の大きなLEDビジョンには、美しく輝く流れ星がゆっくりと一つ、また一つ。

 やがてビジョン一面、大小様々無数に流れ始めた途端、熱気は静寂へと一転し、「うわぁっ‥」という感嘆の声が客席から響いた。
 リードギターが優しくスローに鳴らす弦のリズムに合わせ、スタジアムを埋め尽くすPixmobの光がゆらりと美しく幻想的な波を打ち始める。

「オッケーいい感じ。このまま進めて」
「はい」 

 指示を受けながら、メインビジョンとPCの画面を交互にチェックする。
 最後にタイムテーブルを見て問題なく進行していることを確認すると、ふうっと息を一つ吐き出し、夜空を見上げ微笑みながら小さく囁いた。

「ハルー、見えるか?随分かかったけどさ、これもなかなか綺麗だろ」

 頭上にはダイヤモンドのような流星が一つ、長い尾を引いて輝いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?