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日本一を誇った種問屋街道の今昔

座・ガモールファームへようこそ!

これまでの投稿では、農園での活動をメインに紹介してきました。(記事はこちら↓↓↓)

しかし、私たちはこれ以外にも様々な活動をしています!

今回の記事では、いつもの投稿と毛色を変えて、連続投稿した動画企画について詳しく紹介していきたいと思います!


この動画では、種子屋街道について特集しました。


まず、種子屋街道とはなんなのでしょうか?

種子屋街道とは

種子屋街道とは、大正大学周辺の旧中山道を指します。

旧中山道とは、江戸時代に整備された江戸五街道の1つであり、江戸と京都を結ぶ道でした。
江戸時代には、藩と江戸を行き来する参勤交代の制度があったため、大名もここを通ったといいます。

その頃、大正大学付近から板橋駅にかけては特に良い種ができたため中山道を通る旅人に人気でした。
そして、種を売る店も増えたことで種問屋街を形成するようになり、「種子屋街道」といつしか呼ばれるようになったといいます。

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(上: 中山道の種子屋)

豊島区立郷土資料館(2008)『一粒入魂~日本の農業をささえた種子屋~』


現在の種子屋街道

戦後以降、日本の在来種(滝野川ごぼう、九条ネギなど、現在では「伝統野菜」と呼ばれています。)が衰退したことにより、種子屋街道も廃れていきました。

しかし、現在でも伝統野菜を販売している「日本農林」さんや、当時の趣を残す建築(「東京種苗」さん)を見ることができます。

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(上: 大学で育て、南門広場で頒布していた九条ネギです)


種子屋街道ぶらり旅

そこで今回の動画では、種子屋街道を実際に歩いてみたり、日本農林さんにインタビューをしたりして、種子屋街道をより深く知る旅に出ました!

さらに、「現在の」種子屋街道を巡る旅ということで、種子屋街道に関することだけではなく、途中にある飲食店やお店、有形登録文化財に登録されている銭湯なども紹介していきます!


旅の手がかり 古地図

今回は、種子屋街道が栄えていた時代である明治44(1911)年の古地図と共に種子屋街道を歩いていきましょう!

(以下の地図は『北豊島郡滝ノ川村全図・北豊島郡巣鴨町・巣鴨村全図』を加工した『一粒入魂!~日本の農業をささえた種子屋』から抜粋した古地図)

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これの左下をよくよく見ると、「宗教大学」という文字が見えます。(「中山道」という文字の「中」の上らへん)
これが現在の大正大学で、そこから北西方向にたくさんの番号があることがわかります。
これらすべてが当時の種問屋です!!

拡大したものがこちら。

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今回の旅では、北西の板橋駅から下に歩いていきます!

さらに、動画では②の大日本農園(現「日本農林」)や榎本留吉商店(今は建物のみ残っています。)を特に詳しく紹介していきます。

榎本留吉商店の建物を取材する様子↓

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編集後記

種子屋街道の隆盛時は日本全体への種子を扱う種問屋街となっていました。電車で日本全国から種を求めてこの場所を訪れたといいます。
しかも、種は日本だけではなく、台湾など海外からも仕入れていたといいます!

私自身も調べるまで、いつも通っている大学がこのような過去があったことを知りませんでした。
いろいろな歴史が凝縮された地域で、知れば知るほど面白い地域ですね!

実際の撮影では、私自身も知らなかったお店もあって刺激的な旅となりました。
みなさんも、これを見て歩いてみたいと思っていただければ幸いです。

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(上: 千川上水公園で歴史をさかのぼる撮影班)

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