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無課金でゲームを楽しめるポテンシャルをリアルに投影する/鮮度よりも咀嚼が大事だよっていう話

僕ゲームに課金をしたことがない。正確には高校生のころに、3000円を某リズムゲームに課金しただけで、それ以外では課金をしたことがない。

僕は課金をせずに、「いかにして無課金でゲームを楽しむか?」という部分に面白さを見出している。僕が普段よくやるリズムゲームでは、ガチャでお目当てのキャラクターを手に入れることではなく、1曲でも多くフルコンボ出来る曲を増やしていくかに注力する。そのゲームから得る豊かさを、課金ではなく、自分の技量をレベルアップすることで得ている。

お目当てのキャラクターを手に入れたいという気持ちがないわけではない。ネットを通して、そのお目当てのキャラクターが24時間いつでも閲覧出来る状態であれど、自分のアカウントに、そのキャラクターが手元にある状態にしたいという所有欲がうずく気持ちもあるっちゃある。

だけど、確実に手に入れられる可能性がない以上、ワンチャンの豊かさに渇望することは抜け道のない負のスパイラルだ。ワンチャンの豊かさは、底なしの誘惑と希望を秘めているが、そこに飛び込んでいくことは、余程のガッツや愛や執念がないとできない。豊かさを得る前に破滅してしまう。

今日は、なるだけ課金せずに楽しく生活する僕なりの考え方を書いていく。

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これはゲーム内だけではなく、リアルの生活にも言える。

僕らはゲーム内どころか、リアルでの課金もやめない。最低限の衣食住と、様々な無料の娯楽をもってしても、僕らは課金をし続ける。これを手にすれば、最高に豊かになれると何度も何度も自分に言い聞かせ、課金をしてきた。

課金は手っ取り早く豊かさを得る常套手段だ。課金をすることで得られる眩く光るソイツを手に入れることこそが最高の豊かさだと思ってやまない。

しかし、豊かさはモノを通して得られるだけではない。自身の気付きや成長も立派な豊かさだ。リズムゲームでキャラを手に入れるのではなく、フルコンする技術を磨くように。

今巷にある最新作を買わずとも、「前に買った最新作」を1回遊んだ時とは違う遊び方で遊んでみることだって出来る。初見のときとは異なり、慣れた感覚と終わり方を知っていることで、より細部まで面白さを見いだせるようになる。(そういう作品に出会えることは、とてもレアではあるけれど)

真新しさは食材の鮮度のように、新しければ新しいほど、おいしそうに見える。シリーズ最新作!という売り文句を見れば、誰だって手に取りたくなる。

しかしその最新作も時間を経てば旧作に変わり、最新作という刺激は嘘のように風化し、忘れてしまう。そしてまた、最新作が出てきて、空になった豊かさに刺激と面白さを注ぎこむ。

僕は最新作の飽食をしていた。ちょっとつまみ食いをしては、また新しいものに手を出し、そしてまたちょっとつまみ食いをしては新しいもの...ということを繰り返していた。

正直これはもったいないなと思う。ちょっとかじっただけでその食べ物の美味しさなんて分からないのに、鮮度が全てと言わんばかりに、できたてをかじることに全てを注いでいた。僕は食べ物を美味しく味わう味覚が鈍っていたのだ。

鮮度の高いものは、誰だって美味しいと感じる。大事なのは、咀嚼する能力だ。何回も何回も咀嚼し、美味しさを常に感じる力。これの有無が、自分の懐への苦悩を消す1つの手段であり、より食材を美味しく味わう秘訣だ。

トロコンするまで遊ばなくていい。せめて1週する程度には遊んで、その食べ物の美味しさを感じることが大事だよなということだ。

お金を使う以外に無料で楽しむ方法は、咀嚼をする力だ。噛んで噛んで噛むほどに、そいつは味を引き出すのだから。咀嚼する技術を磨いていくことが、これだけ食べ物が溢れかえった現代だからこそ、必要なのだ。








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