見出し画像

音楽が僕にもたらすものは怒りではない

僕はヘヴィな音楽が好きだ。coldrainとかCrystal Lakeとかlynch.とか。
彼らの音楽は激しくそして攻撃的だ。歌詞も何かに対抗しているような攻撃的なニュアンスを含んでいる。

そういった音楽は僕にとって、普段の生活のやり場のないフラストレーションの吐き口になって、生きるエネルギーとなって体の中に入っていく。僕のマインドを形成したのは、彼らのような激しい音楽だと言っても過言がないほど、強く影響を受けていると思う。

激しいジャンルの音楽を聴いていると、彼らの音楽は何かに対して牙を剥いているように聴こえるかもしれない。
でもそれは決して誰かを傷つけようと生み出された音楽ではないと思う。

確かに歌詞に中身は何かに対する闘争心、反抗心のようだけど、それは同時に強く生きる為の力だと思っている。誰かの嫌味を愚痴ったりするのではなく、「嫌いな奴に負けるな」「自分を捨てるな」「自分に嘘をつくな」そういったメッセージとなって表現されていると思う。

激しいサウンドやシャウトは怒りを帯びているけど、怒りというのは瞬発的で同時にすごく疲れるものだ。誰かに対する一方的な怒りは、一瞬は自分を強くするが同時にひとりぼっちの感覚も生む。そして元の形には戻らず、どんどん怒ることでしか物事を解決する術をなくしてしまう。怒りは刺々しいけど、同時にとtrも脆い。

激しい音楽を聴くと対抗心が湧いてきて、それは実生活でも何かに当たり散らすことを正当化させようとしてくる。でもそんなものが長続きするわけもないし、気持ちいいわけもない。

誰かを攻撃しない人間は、特定の人間から見るとすごく都合がいい。そんな都合の良いカモにならないように牙を剥いて何かに対して強く怒り、闘争心を剥き出しにする。

でも本当の強さは何が起きても自分をぶらさず、周りの人にリスペクトの心を持つことだと思う。

ラウドな音楽は薄っぺらい強さではなく、固く決して倒れない強さを僕らに与えてくれてる。そんな気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?