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集中や没頭も大事だが、それを多角的に見つめるもう一人の自分も大事
仕事において、やるべき事に夢中になりすぎて周りが見えなくなることを防ぐため、適度なタイミングで立ち止まるポイントを設ける、という話
このnoteでも度々記しているが、本業のかたわら、別のビジネスを構築すべく動いている。今はまだ構想段階として情報収集に勤しんでいる状態なのだが、一人黙々と進めていると、考えや方向性を偏らせてしまう傾向にあることに気がつき、小休止を入れている。
多方面の方と面談し、ヒアリングをしているとはいえ、そこで得た情報を粛々と編集しているのは私一人であるため、集中してことを進められるかわりに必要な雑音を遮断してしまいがちになる傾向がみられるのだ。
昨日の投稿で、自身にとって都合のいい本の読み方をしてしまう、というようなことを書いたが、あまりに集中し、そのことに没頭しすぎることは自己肯定に突き進み、否定的な意見は排除することでなんとも純度の高い、役立たずな成果物ができあがる。
成果物といってもそれ自体に価値があるわけではなく、自身が投下した時間と労力に対してとりあえず形をなしたハリボテとしての成果物であるからに、実質的には、まったく役には立たないのだ。貴重なリソースを割いて自己満足感を満たすだけのマスターベーションでしかない。
では、何が必要になってくるか。
スタートからゴールまでのプロセスを一気通貫で行うと自然に都合のいい解釈に傾いてきてしまう。それを防ぐために、プロセスを細切れにし、フェーズごとに多角的な視点でチェックを入れ、軌道修正を行う。ある程度集中して実行したプロセスにはバグやズレが生じてくる。そこを無視してゴールまで突き進むと、最初は許容できる小さな問題であるものの、ゴールする頃にはプロジェクトを揺るがすほどの問題になっている可能性が高いのだ。
「虫の目」「鳥の目」「魚の目」とよく表現されるが、ことあるごとに立ち止まり、集中して進めた成果物の真価をチェックする。集中や没頭にはときに妄想や暴走を駆り立てるギアが入ることがある。脳科学的なことはわからないが、おそらくフロー状態はドーパミンの分泌を促し、一種の高揚感に包まれる感覚に陥る。
その高揚感を肯定したいがために、物事の本質よりも、自身が導きだした答えを優先してしまうという罠にはまってしまうのではないかと考えている。
冷静な判断ができていない時点でその答えは間違っている可能性が高いし、自己否定を繰り返してもなお、倒れない理論や意見は育てるに値する価値がある。
そうしてチェックというパンチを浴びせてゴールまでたどり着いた成果物こそ世に出して役に立つ可能性が極めて高い。だがしかし、そこまで丹念に育てた仮説が自身の予想通りにニーズをとらえることはほとんどない。
ここにも冷静な視点で希望的観測を排除する姿勢を保ちたいものだ。厳しいチェックを施したものへの愛着や自信は、対象とされる人にとってはまったく意味をなさない感情だからだ。
ここまでしても最終的には消費者の「欲しいか、欲しくないか」というシンプルな天秤によって決められる。厳しい現実だが、そこから目を逸らしては真のニーズには一生届かないというのも商売の奥深さなのかもしれない。
プロセスに緩急をつけ、その都度思考のチューニングを行うと、大きな脱線は防げる
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