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【結局は】「1000万円あれば・・・」その考え方では解決しない理由

商売において、他力本願や棚ぼた思考がダメな理由。それでは結局何も解決しないということを自覚したところからスタートする、という話

「1000万円あれば・・・」

これはわたしが会社を引き継ぐ前、父がよく漏らしていた口ぐせのひとつである。似たところだと「宝くじさえ当たれば」がある。



この当時、会社の状況から銀行のからの追加融資は望めず、預金残高もほぼゼロに近い状態であったことから、そのような悲鳴というかホンネがもれてしまうのは理解できなくもなかった。

事実、9年前の7月に登記上の代表交代をし、引き継ぎ業務を行っていた際には、あまりの現状のひどさに1000万円といわずとも、せめて少しでも余裕があれば、とスタート早々になげいていたことを思い出す。



余裕どころか多額の負債とそれを到底補えるような売上げも見込めない状況で、会社は沈みゆく泥船のような有り様であった。

会社は小さいがいわゆる「社長」になったにもかかわらず、報酬は会社を引き継ぐ前と同額。その報酬さえ支払えない時期がながく続いた。

わたしの雀の涙ほどの貯金はすぐに底をつき、やはりわたしも「1000万円あれば・・・」「宝くじが当たれば」と夢想しなかったわけではなかった。



だが、本質はそこじゃない。ありえない話だが、たとえ1000万円の融資がおりたり、宝くじが当たったところで問題が解決するわけではないし、引き継ぎ業務を行い、ひとつずつ問題を整理していくうちに見えたことは「会社を儲かる体質に変えるしか道はない」ということ。



以前の弊社ほどの財務状況でなくとも、会社の預金が少なくなれば追加の融資で切り抜ければいい、という感覚の経営者は多い。

だがその状態は、会社の収入と支出のバランスが崩れ続けていることを意味しているわけで、そのバランスを逆転させないかぎり解消はしない。



銀行がいつもまでも自社の味方でいてくれる保証はなく、その頼み綱が途絶えれば一気に倒産の方向に加速していくという危機感を持った方が賢明なのだ。

他にも棚ぼた的なラッキー案件も、その受注の経緯に根拠がなく、再現性が乏しければ一過性の売上げに過ぎず、一時の延命を味わったと同じ。

やはり本質的には自力で売上げを伸ばし、支出を上回る利益を確保することを目指さなければ意味はないのだ。



現在弊社の預金残高は1000万円を優に超え、ちょっとした宝くじが当たった額に相当する。しかしながらその預金は融資でもなければ誰かに用立ててもらったものではない。

自力で粛々と蓄えた預金であることに意味があり、そのプロセスこそが大事だと考えている。

このプロセスをすっ飛ばして、1000万円が転がり込んだところで「どうしたら1000万円の利益が確保できるか?」という問いは生まれないからである。



そんな思いに至り、むかしのことを考えたのは寝る前に「会社の倒産」関連の本を読んだからからだろうか。昨夜はよく眠れたとはいえず寝不足気味の朝をむかえたこともあり、この様なネガティブな本は読む時間を考えた方がいいという反省も込みの記事である。

「働いて得た1ドルは、貰った5ドルより価値がある」
                        ジョージ・ワシントン



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