見出し画像

起業1年目。遠野での年間15件の仕事を振り返って


なんだかWEBのニュースぽい見出しで嫌だが、この1年を振り返る。

2016年に7年間働いたデジタルエージェンシー・spiceboxを辞め(途中3年間は博報堂に常駐)、岩手県遠野市に移住した。Next Commons Labの立ち上げに関わった後、2017年に「富川屋」として独立し、この1年、個人事業主のプロデューサーとして活動してきた。

で、数えてみたら年間で15件以上の仕事をさせてもらった。1件(仙台)を除いては遠野での仕事。また、そのうちの2件は岩手ADCという広告賞に入賞することができた。

自分で振り返っても、2017年度はよく働いたなぁと思う。
個人の仕事だけでなく、並行して「to know」プロジェクトも立ち上げ、遠野物語の勉強会やフィールドワークも毎月主催してきたので、実に目まぐるしい1年だった。

野球に例えると、イースタンリーグ全試合出場、打率.302、本塁打18本、打点82、盗塁18ぐらいだったと思う。サッカーに例えると、J2全試合出場、18ゴールぐらい。

これまで東京の赤坂で働いていたので、そこをサッカーのJ1だとすると、J2のチームに移籍してとにかくバチバチと毎週実戦を重ねたような日々だった。

よく広告代理店出身と言うと、それならできて当然でしょ、という反応をされたりするけれど、全然できて当然ではない。その理由を書きたい。それは15件の仕事の内訳をみるとわかる。

この1年の仕事は、ガイドブック、組織のブランディング、パッケージ、ポスター、POP、Tシャツ、ポストカード、インタビュー&ライティング、商品開発、動画制作、写真撮影、ツアーの現地コーディネート、組織のファシリテーション、新規事業の企画、クラウドファンディング(380万円達成)、WEBサイト。

で、この中で東京で経験がある仕事はWEBサイト制作のみ。※ここ重要

つまり、99%が初めての仕事だった。これは意外と知られてないというか、初めて公にすることかもしれない。

東京にいた頃は主にデジタル部門の担当だったので、WEBサイトの制作やfacebookページの運営、映像企画、キャンペーン企画などが中心だった。

しかも営業/プロデューサーだったため、自分で撮影をすることも動画編集をすることもイラレやフォトショをいじることもなかった。むしろツールの使い方すら知らなかった。また、企画も、プロデューサーではなくプランナーがいたりしたので、アイディアを出すのはプランナーの力を借りることの方が多かった。仕事の規模が大きいので分業が当たり前なのだ。

ただ、ここは遠野。
とにかく自分で解決するしかなかったし、できるようにならないといけなかった。

前職はそんな具合で働いていたので、正直、本当に自分が地域で独立して食っていけるのか不安が大きかった。これは冗談抜きで本当にそうで、のたれ死にしないか本気で心配してくださった方もいた。当時、相談していた方全員が1年後にこんなことになっているとは100%思っていないと思う。自分もそうだった。

では、なぜこれだけ仕事をさせてもらえたのか考えてみる。

まずは、やるしかなかったから笑。これは本当そう。やるしかなかった。必死。自分がフリーランスとして活動できるのか。必死にやらないとわからなかったし。

ただ、その上で心がけていたことを振り返ると、
・コミュニケーション力
・伴奏力
・機動力
・バランス力
・考えぬく力

あたりだったと思う。

正直スキルはやりながら上達する部分はあるので、それが必ずしも大事ではなく(もちろん大事は大事)、それよりもいかに相談をしてくれた人とビジョンを共有し、一緒にゴールに向かって走り、コミュニケーションを取り、考え、それを機動性高く繰り返していくかという部分じゃないかなぁと、振り返って思っている。
そこは前職で営業やプロデューサーをしていた蓄積があると思うが、特に地域での仕事は、スキルというより、その人自身に仕事をお願いしたいと思われないと相談をもらえないので、よき伴奏者である必要があると思う。
これは引き続き意識してやっていきたいポイントだ。



では、そんながむしゃらに動いた2017年度を経て、2018年度はどうしていくか。

細い話はさておき、決めていることがある。
それは、「舞台をつくること」だ。


それは、自分の舞台ではなく、一緒に活動している仲間(to knowのメンバーなど)、若手のライターやプログラマー、映像ディレクターや編集者、そして市民、地域の事業者、起業を目指している人たちなどが活躍できる舞台。

それも対価を生む、仕事の舞台。ビジネスを作りたい。

その理由は、やはり自分一人でできることは限られているため、多くの志ある人と一緒にやっていきたいということ。そして、実戦でしか得られない経験があるので若者にはチャンスを作っていきたいこと。
そして、何より地域にビジネスを生むことで、得意分野を生かして食っていける人を増やしたいからだ。そうすればUターンで帰ってくる若者も増えるはず。もちろんIターンでも。

これを富川屋としても、to knowとしても実現していく。
これが2018年の目標。

なので、次は自分の仕事の数ではなく、他の人が活躍した舞台の数をベンチマークとしてやっていこうと思う。

もちろん自分のスキルアップを放棄するつもりはないので、時には先頭打者として塁に出たりホームランも狙いにいくけれど、送りバントや進塁打などのチャンスメイクもしていく。今年度はそんな感じで考えている。


どんな面白いことが待っているだろう。
また地道に頑張っていこう。

それでは、2018年度もよろしくお願いします!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?