見出し画像

「清潔であること」でよくない?

中学や高校の校則というと、
指定のものを着て、体操着はシャツをインして、
頭髪検査で怒られないように髪を切って、
とただただ面倒なイメージしか無い。

ぼく自身そんな校則にうんざりして、
高校は地元で一番校則がゆるいとされている学校に進学した。
髪は染めなければOKだったし、
学ランの代わりにYシャツ+カーディガンでOKだったし、
そもそも服装検査や頭髪検査なんてものは存在しなかった。

こういうことを話すと「いい高校じゃん」と言われるんだけど、
果たしてその判断基準ってどうなのよと。

実際当時のぼくはその校則にさほど不自由を感じなかったけど、
スマホに関しては割と厳しかった。
朝のHRと同時に鞄にしまって、放課後までは使用禁止だった。

当時はスマホなんて勉強と対を成す害悪だと思っていたけど、
使い方次第では便利なツールにもなりうる。
その分別が難しいから全面禁止にするのもわからなくもないけど、
せめて昼休みくらいはいじってもいいんじゃないだろうか。

母校を卒業してそれなりの年月が経ったので、
今は時代にあわせて校則も変化していることを願うしかない。

そんな鬱陶しくて排他的でご都合主義な校則について
ぼくが日々思うのは、服や髪なんて「清潔であること」で十分だと思うし、
治安を良くするための校則はたいてい逆効果だと思っている。

ちょっと前に世間を賑わせた「ツーブロック禁止」って
ほとんどの教育関係者が理由を説明できないはず。
むしろ他に納得のいく理由があるなら教えてほしい。

たとえば「ガラが悪い印象を与える」と言い出す人が一定数いるが、
そういうのは学校側が禁止するから校則を破ろうとする
アウトローな奴らだけが選りすぐられて、
よりツーブロック=悪印象というイメージが強固になってしまう。
校則が悪循環の根源ではなかろうか。

ぼくが中学生だった頃、生活指導の先生がよく
「身だしなみは必要、おしゃれは不要」と言っていたが、
不要だからダメという理屈にはどうも納得がいかなかった。
別にやりたきゃやればいいじゃん。

とはいえ、こういう声が上がっても
そう上手く実現しないことはわかっている。

親御さんやお堅い近隣の方からはクレームが来るだろうし、
校則が緩和されると生徒たちは浮かれた反動で
何かしらのトラブルも起こしかねない。

そんなことになれば、ただでさえ忙しい先生たちは
生徒指導に追われ外部からのクレーム対応に追われ
上から辛辣なフィードバックを受け、と
余計な仕事ばかりが舞い込んでくるのだろう。

でも、どこかが動かないことには変化を起こすことは難しい。
日本人は先陣を切ることよりも誰かの背中を追随する方がずっと得意だ。
誰かがリスクを取ることで、次に続く人たちを扇動しないことには
そう簡単には動かない。

そんな自戒を込めて、読んでくれたあなたの心に届きますように。

#みらいの校則

この記事が参加している募集

みらいの校則

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?