目標を変えちまえば楽しくなるじゃねえか
あやうく一生懸命マラソンするところだった。
ここ最近は初マラソンに向けて練習してるけどまさかの直前で股関節痛めて落ち込んじゃってるよーっていう内容の記事をよく書いてるんだが、それでおとといはずいぶん取り乱した記事を投下した。
まあ僕はメンヘラおじさんなので、気分が乱高下するのは日常ちゃはんじのことだ。おとといのヒステリック騒ぎも、その習性の一つである。
メンヘラのヒステリック持ちという人種は、ケロッと気分が上向くことも多いもんで、昨日今日とポカポカな陽気だったことも手伝って、頭がサッパリと切り替わった。
速く走らなくて済むのだから、むしろ気楽で楽しいじゃねえか、と。
がんばって走らなきゃいけないプレッシャーから解放されてむしろハッピーなのだ。
どうせ股関節が痛いし、どうやっても速くは走れない。
だったら、目標を変えてしまえばいいのだ。
ということで、目標は「完走すること」に変わった。
それで十分。だって初めてのマラソンだし。15年くらい運動皆無だったおっさんが、人生最長距離を走るのだ。それができるかもしれないところまで、体を作ってきた。それだけで十分頑張ったじゃないか。
だいたい、自分に期待しすぎていた。
長らく運動してなかったとはいえ、雪山だって登れるし体力はそこそこあるし、それなりに運動神経はいい方だからね。
それだけに、自分はそれなりのタイムを出さなければいけないのだと思い込んでしまった。そしてそれができるはずだ、と。
そもそもマラソンなんて、べつに誰からやれと言われたわけでもないし、走らなきゃいけない理由なんてない。走るのが気持ちくて楽しくてやり始めただけなのに、一体いつの間に記録を出さなきゃいけないものになっていたのか。誰に期待されてるわけでもないし、ましてや走らなきゃ怒られるわけですらないのに、一体なんのプレッシャーだというのか。ちょっとキャンプ行くのにプレッシャーなど感じることがないように、マラソンだって楽しくやればいいじゃあないか。
あやうく一生懸命生きるところだった。アッブネー
人生なんてそんなもん。死ねばどのみち全部ムダ。消えて無くなる。なにより自分のことを感じる自分が無くなっちまうんだから、人生にプレッシャーを感じるなんてバカバカしい。
ならば今楽しくないと損じゃないか。
一生懸命がんばったら辛くなる。辛くなったら続かない。
したがって、テキトーに楽しむくらいでちょうどいいのだ。
目標を変えれば、今の脚でも十分に楽しめる。
ケガという縛りがある状態で、制限時間内に完走できるかというゲームだ。
要するに縛りプレイだ。
きっとこれは楽しい。
強制失格ラインのペースメーカーがいるかはわからないけど、それに追われながらギリギリでチェックポイントを通過していくのとか、めっちゃおもしろそう。ゆっくりランなら撮影とかも余裕ありそうだし、動画撮るのもいいな。こうなったら思いっきり楽しみ方を変えてやろう。
きっと人生もそんな感じだ。
(ああまたしてもマラソンを人生になぞらえて語るという最もサブい行為をやってしまった)
シリアスに頑張っても辛いだけ。辛ければプレッシャーで辞めたくなる。
たのしくやれる目標に、いつでも切り替えてしまえばいいんだ。
もともと誰に何を強制されて生きてるわけでもないんだしね。
楽しみ方なんて、自分で決めればいいのさへっへーい
記事が1ミリくらい良かったら100円ください