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知ると「解る」

阿部謹也さんという学者がいた。

ドイツ中世の歴史が専門で、社会史と呼ばれる分野で数々の実績を残された。例えば、『ハーメルンの笛吹き男 - 伝説とその世界』は、40年以上の長きにわたって読み継がれている阿部さんの代表作だ。文庫本として現在でも手軽に読める。

また、阿部さんは、日本人の意識や行動様式を拘束している世間なるものにも大きな問題意識を持ち、『「世間」とは何か』をはじめとする著作を発表。話題を集めた。


阿部さんのご研究の一端がわかる動画があった。
参考にして欲しい。

私は、阿部さんの熱心な読者だとは言えない。
しかし、阿部さんの一冊の本を読んだことが、私の生き方を変えた。

『自分のなかに歴史をよむ』である。

30年ほど前、友人が「君、これ絶対に読まなきゃいけない本だ」と勧めてくれた。中高生向けに高度な内容をかみ砕いて分かりやすく記述されていた点が印象に残った。そして、知識量の多さを褒められ有頂天になっていたその頃の私を反省させるくだりに出会った。大学入試の小論文でも題材にされた箇所だ。大学生の阿部さんを指導した教官だった上原専録さんとのやり取りの一コマである。

上原先生のゼミナールのなかで、もうひとつ学んだ重要なことがあります。先生はいつも学生が報告をしますと、「それでいったい何が解ったことになるのですか」 と問うのでした。それで私も、いつも何か本をよんだり考えたりするときに、それでいったい何が解ったことになるのかと自問するくせが身についてしまったのです。そのように自問してみますと、一見解っているように思われることでも、じつは何も解っていないということが身にしみて感じられるのです。 

自分のなかに歴史をよむ

「解るということはいったいどういうことか」という点についても、先生があるとき、「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」といわれたことがありました。それも私には大きなことばでした。もちろん、ある商品の値段や内容を知ったからといって、自分が変わることはないでしょう。何かを知ることだけではそう簡単に人間は変わらないでしょう。しかし、「解る」ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そのように「解る」体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだとも思えるのです。 

自分のなかに歴史をよむ

知ることと「解る」ことは違います。
学んで、「解る」とは、単に知ることにとどまらず、自分の人格にかかわる何かであり、成長していくきっかけになる、と言えるでしょう。

学校で学ぶ内容に疑問を感じているみなさんに、何か参考になればと願い、書いてみました。


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