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寝ながらできるよ!アーナパーナ・サティ呼吸瞑想のススメ
(´・ω・)_/☆ポイント☆呼吸は『荒巻』。呼吸瞑想は荒巻をおとなしくさせて観察するアソビ。ただし意識はちゃんと起きていること。
前回はお金のことを書いたので、今回はマインドフルネス回。
せっかくお金が儲かってもマインドがきちんとセットされてないと、いつの間にやらなくなっちゃうYou☆
めりっと
集中力と気づきがアップするぞ
気分がスッキリするぞ
上達するとオモシロイ体験ができるぞ
オマケで体力とメンタルが回復するぞ
でめりっと
ひとによっては雑念が減った分だけアイデアが湧きにくくなることがあるぞ
やること
ただ呼吸を観る。
そんだけ。
※呼吸と精神活動は直結しているので、呼吸を整えて集中し観察を続けることは、すなわち自分のこころを観察することにつながってる。
アーナパーナとは呼吸、サティとは気づきという意味の古いインドの言葉。おおむかしから仏教の坊さんとかがやっている瞑想修行の一種。
所要時間
10分~ 好きなだけ
1時間くらい集中力が続くとだんだん次の段階にいく。
寝る前にやると逆に眠気が薄れて起きることがあるから、休憩の時にするとか休日で誰にも邪魔されないゆったりとした時間がある時にオススメ。
快適に瞑想をするための事前準備
人の声がしない静かな場所でやる。なにげに重要。
騒音にならない程度の音量や、車とか機械の音は脳みその言語系を刺激しないので大丈夫。気になるひとはノイズキャンセリングイヤホンとか耳栓をする。
集中力が下がるとどうなるか?
じつは漫然と物を食べながらテレビを観るような、2つのことを同時にしようとする行為は気が散る習慣の練習をしているんよ。
気が散るってことは、文字通り集中力が散っている状態。
気が散るとどうなるか?2つの気が生じてしまうと、だんだんとクセになってしまい、さらに集中がしづらくボンヤリと漫然とした性質になってくる。
イマに集中できなくなるとどうなるか?、なにをやっても十分に楽しんだり味わったり感動できなくなる。
職業柄たくさん同じ様な状態のひとをみてきたけど、気が散ったりボンヤリしてるひとは、みんな集中力が極端に低下してた。
いつも心配事とかアレをやらなくちゃって思いがすごく湧くひとは、
瞑想をする前にそういう気になることを徹底的にいちど紙に書いておく。
もうこれ以上は出ませんって状態になるまで徹底的に紙に書き出すのがコツ。いちどぜんぶ紙に書いてアタマから出すと無意識さんが、オッこいつぁもう覚えておかなくてもイイんじゃねって判断してくれるので、脳みそのメモリが開放されて非常にスッキリする。
あとはカレンダーに書くなり、やることリストにいれておくなりしておく。見返してみたらやっぱりやらなくてもいいやってことは捨てるのもオーケー。そいつをシュレッダーにかけるとカイカン。
さらに詳しいやり方は『GTD 頭の中の気になること リスト化』とかでググってください。
第一部
第1段階 呼吸の流れを追う
どんな坐り方でもオーケー。横になった状態でもオーケー。
カラダのちからをぬいてリラックスする。
よく顔とか目元に力がはいってることがあるので緊張をほぐす。
とりあえず鼻先の空気が触れる部分を始点と仮定しておき、息がいまどこにいるかなって、どこが始点で、どこが終点かなって呼吸の全過程を追いかける。それが事実かどうかは気にしない。感覚で感じたのが基準。
第2段階 短い息を短いと、長い息を長いと、意識する
雑念が湧くだろうけどほっとけばそのうち消える。
また湧くだろうけどまたほっとけばそのうち消える。
第3段階 いろんな息の種類をためす
十分追えるようになったら強くしたり、弱くしたり、長くしたり、短くしたりとためしてみる。
第4段階 息を静めて一ヶ所でじっと待ち伏せする
もう動きを観るのは十分なので、こんどは息を静めて一ヶ所でじっと待ち伏せする。鼻腔や鼻先にポイントを定めたら動かさない。
息が通過する時を見張る。意識と呼吸を繊細にする。
じっとしていると今まで動いて浪費していたエネルギーがだんだんとたまってくるので、集中力が一時的に上昇する。
第二部
第一部の最後までできると集中力が高まった状態になっているので、自然と喜悦(嬉しいな、楽しいな、オモシロイな)ってキモチと幸福感が生じる。
それをどんなもんかいなと味わいつつ観察する。
嬉しいな⇒楽しいな⇒オモシロイな⇒ラッキーだな⇒
嬉しいな⇒…っていうサイクルになっているように自分にはみえる。
サイクルの回数が多くなるほど、強度がちょっとずつ上昇するのでそのうち日常で体験するたいていの喜びよりも満足度が高くなる、というかヨユーで超える。
第1段階 一呼吸ごとに喜悦を意識する。
目を閉じていても光を感じることがある。集中力が高まっている証拠なんだけど、そんなもんなのかとドライでいること。ヤッたぜ!とかおもうと消えちゃうことがある。
第2段階 一呼吸ごとに幸福を意識する。
どんなもんかいなと味わいつつ観察する。
第3段階 一呼吸ごとに喜悦と幸福がどんなふうにこころを変調させているかを意識する
第4段階 喜悦と幸福が心を変調させる力を弱め、鎮まった心を意識する。
喜ぶのもいいけど、そろそろ落ち着かせてみようとしてみる。
(´・ω・)_/自分が案内できるのはココらへんマデ
あとはやりたいひとは、上座部仏教などのアーナパーナサティのテキストを読んで上達してください。ちなみにさらにステップアップすると、こころの働きがだんだんと理解できるようになるのだそう。長時間にわたる呼吸の不確実性を観察すると、その確かな不変性である無常と不確実性の認識から離欲が生じ、執着を捨てられる…のだそうです。
忙しすぎてそんなコトやってられないひとのためのコーナー
こっちは瞑想とはあんまり関係ないけど、結果が同じになるんじゃ
淡白のススメ
キツくなるのはいつだって、これは『自分のモノ』だぞっていうキモチ
たとえば日常でなにか酷い目にあった時に、不幸だなって感じることがあるかもしれない。そいつをマジで手放さないぞっていう態度をとって、こころがガッシリ掴んだままでいると、ホンキで不幸なひとを演じるハメになっちゃう。
こんどは反対に幸福だなって感じた時に、そいつをマジで手放さないぞってこころがガッシリ掴んだままでいると、それが変わった時にホンキでキツくなる。
『自分のおかね』『自分のこいびと』『自分のこども』『自分のからだ』『自分の感情がつかんだアレコレ』…まぁなんだっていいんだけど、この世のモノは必ず、常に、変化を続けているので、自分のものだぞっていう愛着の気持ちが強ければ強いほどキツくなるんじゃないかなぁ。
まぁ社会生活を営む上で法律上ではいろんなモノを『一応自分のモノ』にしとかないと生活が成り立たなくなっちゃうんだけど、そういう極端なことを言っているんじゃなくて、キモチの上での話。
この前ポイ活で自動取引ロボットの証拠金を作るってノートを書いた時に、『思い入れが少なめのお金』にしとこうぜってしたのはそういうことです。
だからいい思いができた時は、ちょっとラッキーだなくらいの淡白な気持ちになる練習をしとくと、やった分だけちょっとラクになる気がする。
そしてモノ・ゴトに接する態度は、愛着じゃなくて愛用だったらうまくいきそうな気がする。
エラそうなことを長々と書いてしまいましたが、もしいま自分がすごく酷い目あったら大ショックで悲しみ(´;ω;`) なので、いろんなことがうまくいくといいなぁというのが正直なキモチです。
あとスッタニパータとかウダーナヴァルガとかの仏教初期に成立したお経を読んでおくと後学になるのでおすすめ。
こんどはライフハック系の記事が書けたらいいなぁ。タスク管理とかけっこう好きなんよ。
それじゃ次回まで "(*´ω`)ノシ {まったねー!
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