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北の旅人 2022春 DAY2-2 霧多布と試される大地

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霧多布湿原

厚岸愛冠岬からは沿岸部の道道「北太平洋シーサイドライン」を進む。
当初は厚岸止まりの予定だったが、時間がまだあるので霧多布へ。
根室は知床とセットで一度訪れたことがあったけど、釧路~厚床間の花咲線沿線ルートは今回が初めて。
海岸線とはいえ、丘陵の森の中を進んでいくのであまり海は見えない。
13時半、霧多布湿原。
国内では5番目に大きな湿原。やっと桜が咲き始めた北海道の5月だから
湿原はまだまだ寂しい風景なのだが、まるで冬場の地吹雪のように海からの霧が湿原を移動していく様子を眺めていた。

霧が移動する霧多布湿原
湿原側は晴れている

霧多布岬

浜中町の中心部を抜けて14時半、霧多布岬到着。
霧多布の名の通り、一帯は濃霧に覆われていた。
空は晴れているのに霧が低く空を覆っていることで曇っているように見える不思議な天気である。
1日目に様似のエンルム岬や襟裳岬、先程の愛冠岬のように「たどり着いたら岬の外れ」な今回の旅の中で最も印象に残ったのはここ霧多布だ。
過度に観光地化されていないため、人気の少ない場所で太平洋側特有の荒々しい景色を楽しむことができ、写真では分かりにくいのだが海岸沿いの丘陵は遠く根室の落石や花咲まで続いている。
さすがに根室まで行くと浦幌に何時に着くか分からないので…またの機会に取っておこう。

来てしまった…
霧多布岬灯台
先端へと続く道
エゾエンゴサク

試される大地とは

道南出身の自分にとって、道東の自然は畏怖すら覚えるような圧倒的なスケール感がある。霧多布岬の霧の中で僕はふと「試される大地」のフレーズを思い出していた。
この旅の直前、4月下旬にドット道東さん主催のオンライントークショーを拝見していた。ゲストは元北海道副知事で「遙かなる希望の島」というエッセイを上梓された磯田憲一さん。一昔前の北海道のキャッチコピーとして「試される大地」の決定に携わられた方でもある。
お話はどれも示唆に富んでいて勉強になることばかりだったが、「試される大地」の真の意味について話されていたことが最も心に残った。
大抵の人は「大地が」人に試されている、と捉えている。だからこそ大雪が降ったときなどに「試される大地w」みたいに揶揄される表現でもあるのだが、
磯田さん曰く、キャッチコピー決定時の本来の意味は「人が」大地に試されている、ことであるらしい。主述がまるっきり逆なのだ。

北海道の自然は厳しい。先人の苦労の上に築き上げられた美味しい食物や暖房断熱完備の快適な住居に恵まれている現在の私たちにとっても、自然の厳しさはかつてと変わらない。
だからこそ謙虚にならなくてはならないのだ。大地を試す、と声高に叫べるほど人間は大きな存在からは程遠く、自然と対峙して自らのちっぽけさを痛感しなくては物事を正しい方向に進めていくことなどできないのだ。

今の時代、課題先進地域とされる北海道には解決を待つ社会課題が山積している。それはかつての未開の原野のようなものだと思う。
その第一歩は、私たちが大地に「試されている」ことを謙虚に捉え、
リアリストな視点で課題との距離感を図ることから始まるはずだ。


うーん。こんな社会派なことを書くつもりはなかったのだけれど。そんなことを考えさせるのも道東の圧倒的なスケールの自然がなせる技である。霧多布の濃霧の中で、ぼくは「試される大地」の真の意味を深くかみしめていた。


霧多布岬先端。松浦武四郎の碑。


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