薩摩オハラハー DAY1
はじめに
3/23(木)~4/1(土)まで延べ9泊10日の南九州旅に行ってきました。主要な目的地は屋久島。
高校生で登山を始めて「日本百名山」や「グレートトラバース」に影響を受けてきた自分にとって、屋久島は憧れの地でした。
大学受験期やコロナ禍で計画を先に延ばし続けてきましたが、この春にようやく実現させることができました。
WBCじゃないけれど、「憧れることをやめましょう」を自分の中で一つ達成できたかな。
屋久島での自然体験溢れた旅前半と、歴史巡りを満喫した旅後半。
天気が変わりやすく「月に35回雨が降る」と形容されることもある屋久島。ならば予備日を含め日程を多めにとって、日本近代史を語る上で欠かせない鹿児島そのものをじっくり巡ってみようというかなり欲張りな計画を立てました。
山と同じくらい歴史も好きな自分にとって、日本史の中心になった地を通して過去の人々の生き方から得るもの、感じるものが多い旅となりました。
屋久島の雨のように豊富に潤った旅の写真フォルダ。書きたいことも山ほどあるので、instagramの方は写真だけにして、文章はnoteで載せていきます。歴史に関してはかなりマニア向けな情報も多いので…。
「オハラハー」とは鹿児島の民謡「おはら節」の歌詞に登場するかけ声のようなものです。南国薩摩の旅の雰囲気を感じ取っていただけたら嬉しいです。
しばらく長旅に出ることもないので、ゆっくり気ままに更新していこうと思います!
福岡へ
屋久島は羽田直行の飛行機がないので、鹿児島を経由して飛行機か高速船で向かうのが一般的。今回は新千歳から「北海道の翼」で福岡へ飛び、新幹線に乗り換えて鹿児島へ向かうルートを取りました。鹿児島からの高速船は深夜便がないので、翌朝の便を予約。2日がかりの移動です。
前回のネパール旅で乗ったタイ航空同様、日本海側を南へと縦断していきます。
市内中心部へアクセス抜群の福岡空港から博多駅へ一瞬で移動。立食い蕎麦で時間を潰していよいよ九州新幹線へ。福岡と長崎は以前一度だけ来たことがありましたが、南九州は人生初。
到着時や発車時に流れる「いい日旅立ち」のメロディーが旅情を誘います。
約1時間半の快適な走行を経て、15:37鹿児島中央駅到着。
福岡、北九州、熊本に次ぐ人口(約60万人)を誇る九州第四の都会鹿児島市。駅前には「若き薩摩の群像」モニュメント。
薩英戦争に敗北して攘夷の限界を悟った薩摩藩が、幕末に英国へ派遣した留学生一行の像です。有名どころでは、朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカが演じて話題になった五代友厚など。
維新の梁山泊・加治屋町
宿泊先のある鹿児島の繁華街「天文館」までは鹿児島中央駅から徒歩15分ほど。道中、駅から甲突川を超えると、加治屋町エリアがあります。
郷中教育と呼ばれる薩摩独特の教育方式をベースに、幕末維新の偉人を数多く輩出しました。
城山へ
ホテルに荷物を置いたのが16:30。明日に備えてゆっくりするはずでしたが、明治維新の歴史薫るこの地でおとなしくしてはいられない笑。加治屋町を巡って歴史好きの血が沸騰しつつあったので、城山方面へ行ってみました。
まずは王道の西郷どん像。西南戦争で自刃した地である城山をバックに立派な銅像が建っています。
西郷像から道路を挟んで小松帯刀像。
個性が強い薩摩藩士の中にあってはノーマルなタイプ。明治維新早々に亡くなっているので業績に比して名声が残っていないのは残念ですが…。
薩摩藩主と西郷大久保ら若き志士との間を取り持つ重要な役割を果たした人物です。強烈な英雄の影には、こうした影の立役者がいるのです。
島津家の居城「鶴丸城」。天守閣を持たず、文字通り「城山」全体を城塞化していました。鹿児島の地形を考えたときに城山決戦に持ち込むと圧倒的に不利であることから(背後が海で逃げ場がないため)、伝統的に敵を国境で撃退し薩摩領内に入れない、という方針を貫いてきた薩摩藩。
鎌倉時代からずっと薩摩の地を治め続けてきた名門が、領内への敵の侵入を許した唯一の例外が「西南戦争」だったのです。
鹿児島市といえば城山山頂から眺める桜島の構図が定番なので、それを目指して山を登ります。道中の石垣には生々しい銃弾跡。150年前の壮絶な戦いを今に伝えます。
JR鹿児島本線を渡った先には、「西郷隆盛終焉の地」。
さらに進むと、「西郷洞窟」。西南戦争における九州各地での戦いに敗れ鹿児島城下に逃れてきた薩摩軍。西郷自身が私学校の幹部たちとともに、最期の5日間を過ごしたのがこの洞窟と言われています。
鹿児島の歴史を辿るように坂を登っていくと…
桜島と初対面。この日はあいにくの曇りでした…。
屋久島から帰ってきた後に鹿児島にはさらに2泊したので、今後何度も訪れることになる城山。桜島の天候次第で様々な表情を見せる場所です。
ランニングをしている地元の方に麓へと下りる近道を教えていただき、再び市街へ。天文館への帰路、「照国神社」に寄り道。
幕末期、激変する東アジアの情勢に危機感を抱き、開国・富国の重要性を説いた島津家第28代当主・島津斉彬を祀る神社です。後日、仙巌園・尚古集成館を訪れた際にこの人の先見性の凄さを見せつけられることになるのですが…。下級武士であった西郷や大久保の優秀さを見抜き、彼らに薫陶を与えた人物でもあります。
天文館
歴史巡りを楽しんだ後は、天文館アーケード街にて夕食。
明日以降の登山に向けて、がっつりとカーボローディング。
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