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タイガー・リリー

引っ越してすぐ、都会には夕陽がないことを知った。

日の入りを待って、なかなか沈まない夕陽を眺めながら自転車を走らせることが好きだった。夕方の煙臭く冷たくなってきた風を感じて、自分がはなから存在しないような、或いはずっと昔に死んでしまったような、心許さを胸一杯に感じたかった。

就職に伴ってやって来た大阪という場所は、言葉さえ違う並行世界のようだった。新卒1ヶ月目は給料も入らず、空っぽの家で気絶するように眠った。大阪下町の大量に自転車が吊るしてある個人店で、中古2万のシティーサイクルを買って、その取れ掛けたペダルをあてもなく踏み続けてこの町に慣れてみようとした。

漕ぎ進めて見えた近くの運動公園ではちょうどJ1のサッカーの試合が終わった頃で、頬にスパンコールをつけた少女たちがユニフォームを来てはしゃぎながら道を歩いていた。少し夏っぽくなった追い風は狭い路地に弱く降り注いで、取れかけた区の選挙ポスターだけを揺らしていた。

遠くをみようと目を凝らしてみても、何かの建物が常に視界を遮っていた。大阪メトロの駅に吹き込むビル風に背中を押され、昼間の中には常に夜が潜んでいるような気がした。

まるで明日を急かすように、ここでの夜はいつも終わりでは無くすでに始まりだった。窓のない部屋で動く秒針を見つめ、時間という概念が全く変わってしまったような息苦しさを感じた。
朝のためにある夜は、私のためには無い。
そんな気がして、光ばかりを見ようとする。

少しずついつの間にか、同じようなことしか話せなくなっていくならば哀しい。自分の存在を証明しようとして開いた口から何も出てこないことを、高尚な言葉で憂鬱に、自分自身の頭の中で繰り返し語っている。
一昨日のように感じる昨日と、すでに昨日のように感じている今日。

疲れてしまうし、間に合わないし、時間をかけれないし。そうやって想定外を避けて、遂行する時間のなかった言葉を無かったことにして、何日も積み重ねて、何日も無駄にしていくことを考えると薄ら寒い。
あったはずの今日を嗤いたくはない。

都会には夕陽が無い。
昨日と今日の境目や、今日と明日の境目が曖昧になって来た時は、きっと自分でその日が終わっていく夕方を探しに行かなければいかない。


比較しては暗い違いの溝を覗き見て、心の中で説教垂れて、後から都合の良い理由を探す、そんな風に染まってゆきたくはない。

しまなみ海道の橋から見た、生きているか死んでいるか分からなくなるような夕時を覚えている。過去はいつだって美化されて、きっと学生街はずっと、自分にとってひとつの故郷であり続ける。
新しい生活の中で、私はただ夕陽を探している。

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