見出し画像

2/7

バイト先の店長からLINEが来て、明日のバイトが無くなったことを知らされた。レポートを終わらせるのに悪戦苦闘していると、時計は既に21時を指している。

明日は何もないし、家でゆっくり映画でも見よう〜、と近所のスーパーに行って、軽く買い物をしてからTSUTAYAに寄る。家に帰って炊飯器のボタンを押し、レシピを見ながら炒飯を作ってゆく。

周知の通り私は要領が良い方ではなくて、日々劣等感を感じたり、自分には何も無いなと思ってしまうことが多い。だから1つでも自分はこれができる、というものが欲しくて、今年は手始めに自炊を始めた。

手作りの料理はコンビニで買うよりやっぱり美味しい。金銭面でいうとカップラーメンの方が安いけれど、QOL高めていきたいね〜!!

以前YouTubeで予告を見て、ずっと気になっていた映画があった。


↑とにかくこの挿入歌がものすごく綺麗で。しかも、主演が若かりし柳楽優弥(実写銀魂での土方役)なので、1度は見てみたいと思っていた。カンヌ国際映画賞を受賞していて、映像は古いけど、見づらくはなかった。

簡単に言うと、巣鴨子ども置き去り事件をもとにしたストーリーで、出生届のない16歳の男の子が、母親の僅かな仕送りを使って、同じく出生届のない3人の子どもを1人で育てていくといった感じ。映画中にエグい描写はほとんどないけど、子どもたちの演技が自然で、リアリティがあって引き込まれた。

もちろん母親の育児放棄は許されることではないのだけど、序盤で母親がいった、「お母さんね、好きな人が出来たの。きっと真面目な人だから、今の人と結婚できたら大きな家に住んで学校にも通えるからね。」という言葉が多方向からかなり刺さった。

婚約者になるはずの恋人には、自分を見捨てないという保証も、価値観が合うという確証もないのだ。それにもかかわらず、恋愛の延長線上には子育てがあって、子どもには親が必要だ。ましてや彼女は大勢の子どもを抱えたシングルマザーだし、子どもの存在を明かしたまま普通に恋愛をして、新しい父親を作ることなんて難しかったのだろう。夫に見捨てられた時点で、母親は最初から子育てを諦めていたのかもしれない、なんて思った。

価値観が合って信頼ができる人を見つけることは、本当に難しい。困難にぶち当たったときに、冷静に乗り越えていくには、やっぱりお互いに話し合いができる人じゃないとダメだと思う、真剣に。それから出来れば、こうやって映画とか音楽とか本とか良いなと思ったものについてお互いに話せる人だと、すごく素敵だ。

話が変わるけど、柳楽優弥の演技は圧巻で、まさに思春期に差し掛かったポーカーフェイスな男の子そのものだった。時々嬉しいことがあると、照れて歯を見せて笑うのが、まさに16歳!といった感じで眩しい。実際に、撮影の期間中に声変わりを迎えて身長が15センチ以上伸びたそうだ。実際の被害者の少年もその期間に成長し続けていたのだろう。

作中では幼さゆえの残酷さというより、まだ大人ではない少年の瑞々しさを魅せたかったのかな、と思う。歌詞に「異臭を放った宝石」とあるように、どんな凄惨な状況でも、彼らなりの楽しみがあって日常があることが伝わってきて、ひたすら美しかった。

それから、次第に生活が回らなくなっていく様子の描写がすごい。一人暮らしを始めて痛感するけど、毎日片付けをすること、ご飯を作ること、お風呂を貯めること、洗濯を入れることは大変だ。小、中学生の子が4人分の家事を毎日し続けるなんて相当だっただろう。男の子が最初はカレーライスを作っていたのが、仕送りが減ってカップラーメンになって、母親に命じられていた漢字ドリルにも手を付けなくなっていく過程が鮮やかだった。徐々に部屋が散らかり、服も汚れていくのだけど、それでも、元々彼はすごくしっかり者だったのだろうな、と思う。

私の住んでいた地域には、大きな児童施設がある。小学校のころ仲の良かった子たちは、本当にいろいろな境遇にいたと思う。「誰も知らない」に出てくるような子どもたちは決して映画の中だけじゃなくて、めっちゃ普通に身近にいる。可哀想だなんて話じゃなくて、それが日常で、当たり前だという家庭は多い。

施設にいた子たちはそれでも、そんな境遇から何らかの手段で保護された子たちだ。きっと知られてすらいない子はもっと多い。

こんな話をしていると思い出すのが、私が高校生の頃、たまたま通りかかった近所の公園で、小学生くらいの男の子がうずくまって父親に蹴られ続けていたことだ。あの時のことを思い出すと、自分はどうするべきだったんだろう、といつも思ってしまう。音が聞こえるくらい暴力は酷かったから、通りかかった私にもすぐ分かった。周りの人もぎょっとしてそっちを見ていたけど、割って入るひとは誰もいなかった。

その後父親が男の子を置いてかえったから、気がかりだった私はその男の子に声をかけた。「大丈夫?一緒に帰ろうか?」みたいなことを言ったが、彼は、まさに柳楽優弥みたいな雰囲気で頑なに大丈夫です、と言ったので一人で帰した。状況なんて分からないし、たまたまその日だけだったのかもしれないし、だけど蹴られ方がおかしかったからモヤモヤして、結局駄目元で児相に電話をかけた。

突然のことだったから何もまともに聞けていなくて、今考えれば男の子に名前や小学校名くらいは聞いておけばよかったのだけど、殆ど役には立てなかった。家族と離されることが良いのかも分からないし、本当に何が正解か分からない。

もちろん第三者は手を差し伸べる人でいなければいけない。大人は子どもを守る存在でなければいけない。それを大前提として、それでも「誰も知らない」で描かれるのは、被害者の視点だから私達の視点とは少し違う。被害者だと言われる人にも、その人なりの青春があって、日常があって、それらはきちんと美しいということ。めちゃくちゃ言葉にするのが難しいけど…。

近所の人にバレたらいけないから外に出ては行けないよ、と母親から念を押されていた子どもたちが、母親がもう帰ってこないことを悟って公園で遊ぶシーンなんて、めちゃくちゃ無邪気でキラキラしていた。もし彼らがまだどこかで生活しているなら、真っ暗だった数年間の中の美しい思い出として残っているのだろうか、と感じる。

そうだとしても、「誰も知らない」を観ている間も、もしコンビニの店員がもっと声をかけていれば、近所の人が気付いてあげれば、途中に出会った中学生が周りの大人に助けを求めていれば、と思わずにはいられなかった。きっと違った未来があったはずなのに、とも思ってしまう。

虐待関連でいうとその前に漫画の「僕だけがいない街」を読んだことがあって、自分が普通に家で食事を出してもらったり、服を買ってもらえたりしていたことがすごく幸せなことなんだな、と思ったりした。もちろん自分の家族の全てに非の打ち所がないわけじゃないけど、家族が機能するって全然当たり前のことじゃない。人と人との関係なんて変わりやすいし、大人は子ども以上にそう。

「どうしようもない」なんて言葉で終わらせたくないなー、と思うなぁ、何にしても。




最後に「誰も知らない」の映画的な感想〜

・とにかく子役の演技が凄い

・撮影場所が基本アパートの中のみで、程よいB級感があって好きな人には刺さる

・挿入歌が良い曲なのに1回しか出てこないのが勿体ないかも。シリアスな邦画は音楽があまりかからないのかもしれないけど、映像が綺麗だからもう少し音が欲しかったかな

ちなみに私の激推しの映画はレ・ミゼラブルと100円の恋です、100円の恋はどんどん綺麗になっていく安藤サクラが格好よすぎるし、めちゃくちゃ元気でます。でも序盤は見るの辛すぎて早送りした。

次は花束みたいな恋をしたを見るぞぅ(そういえば溺れるナイフも見てない…)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?