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論理的に考えるということ I
はじめに
"論理的に考える"と聞くと、人はどういう印象を抱くだろう?
ある人は「人が人たる素晴らしい特性」だと思うだろうし、またある人は「小難しいこと言わないでもっと素直にいればいい」と感じるだろう。どこかこの"論理的に考える"という言葉からコンプレックスを覚える人もいるのではないか。
そもそも人によってこのフレーズから得る解釈には多少のバラつきが現れよう。
定義
僕なりの定義はこうだ。
”明確な目的”を持って、"確かな根拠"に基づいて、"結論"を導き出すこと
この”明確な目的”を持って、"確かな根拠"に基づいて、"結論"を導き出すことは、日々訓練をしていればすぐにでもできるようになる。また、僕の中に生存バイアスが根付いている可能性を完全に否定することはできないが、毎日意識して練習すれば誰にでもできるようになると考えている。
"論理的に考える"ことの有用性
時に、論理的という言葉が飛び交う文脈では、やれ解決型思考だとか、やれ共感型思考だとか、なんだか人類の間に存在する様々な境界線に偏見の色付けをして、"論理的に考える"という行為の有用性にケチをつけている人を見かけることがある。
また、この行為が知的活動であることを理由に、どこか苦手意識のある人も多いだろう。僕自身、特に優秀な人と話している時には、未だに「あれ、今自分の設定してる目的ってそもそもあやふやじゃないかな…」と不安になることもある。
逆に、感情的思考(今抱いている自身の感情の解消や発散に囚われすぎて、短絡的にしか物事を考えられない状態)や、理論的思考(自分ルールや自身の体験から副作用的に得た偏見混じりの理論に当てはめてしか物事を考えられない状態)に陥っている人と、一定以上重要なテーマについて話す時には、伝え方や表現の仕方まで論理的に策を講じることができず、苦労してきたことも多い。
しかし、真に"論理的に考える"ことには、話し相手の感情や価値観に寄り添うことや、相手の信条を汲み取った上で伝え方を工夫することも包含されている。"明確な目的"のためには、一度直接的な解決策から遠回りして相手に共感することも大切であるし、"確かな根拠"を理解し合うためにはお互いのマイルールやバイアスを掴むことも必要であろう。そういったことまで含めて、"論理的に考える"なのである。
よって、この知的活動には万能性が宿るとまでは言い切れないが、仕事や学業に限らず、多くの問題ごと、人生におけるハードル、揉め事等々において"論理的に考える"ことが大きな進展を産むきっかけになるとはいえよう。
また、常に意識して暮らすことで、すぐに!誰でも!簡単に!論理的思考ができるようになると考えている。具体的な訓練法の提案と考察も後述したい。
次回予告
次回、"論理的に考える"ためには、どういった手順を踏めばいいかについて、解剖していきたい。
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