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バックヤード:「江戸資料本」のこと

30年以上前、俺はパソコン通信時代に、時代小説を書く趣味にハマった。

毎晩、仕事を終えると、パソコンやワープロで小説を書きつつ、テレホーダイ時間にモデム経由で創作系のフォーラムに入ってはメンバーの方々とテキストで会話し、自分に「やる気」を注入したものだ。

やがて仕事が忙しくなり、いろんな場所に中長期の出張を繰り返すようになると、集中して物語を書くことも難しくなった。それでも時間を見つけては細々と書き続けてきた。

あの頃は、インターネット以前で、江戸の時代考証に関する情報も、ググればどうにかなるという時代ではなかった。(今でも、深めの情報は難しいが)
で、江戸関連資料を買い漁った。
書棚に入りきれなくなった資料は、ダンボール箱に突っ込んで部屋の隅に積んだ。

カテゴリ的には、

  • 地図系(大判のものになると、かなり高価になる)

  • 辞典系(バラツキはあるが、基本、高価)

  • 古典系(岩波文庫とかね)

  • 生活史系

  • 絵図系(これまた、結構、高価)

  • 対象を限定した事典系(服飾、盛り場みたいにね)

などなど。おそらく3百冊まではないというラインだろう。費用的な話は、怖くなるので考えないようにしている。
役に立った本も、立たなかった本もある。
一時は、「場所ふさぎなんで、自炊で電子化するか?」などとも考えたし、スキャナも買ったが、本をバラす、スキャンする、っといた作業自体にも時間がかかり、中途半端に終わった。

界隈なら誰もが知ってる青蛙房の本。自炊なんかしたらバチがあたる。

で、本題だが、そりゃあ名高い三田村鳶魚さんの本などが役に立つのは分かっている。まあ話はあちこちに飛ぶし、物理本の性質として検索性が悪いのは仕方ないとして。(青空文庫での電子化に期待しているが、どうも作業がフリーズしている感がある)

こういう名高い本以外に、「案外、役に立つ本」ってのを、忘れやすい自分への備忘録的に、ここで整理しておきたい。


江戸晴雨攷(中公文庫:根本順吉)
絶版本。
「江戸期の文人や思想家たちの日記を丹念に渉猟し味わいながら、当時の気象を的確に再現してゆく。江戸に生きた人々の、天候に寄せる深い関心、好天の喜びと天変地異への畏怖、そして今は失われた四季折々の風物に注ぐ細やかな愛情までも鮮やかに蘇らせる労作。」(裏表紙より)
構成的には、「晴雨八章」「東都気象歳時記」「都市気象とその影響」ってことで、江戸に住んでいた人々が、季節ごとにどんな空を見たり、どんな鳥の声を聞いたりという季節感をイメージするのに使える本。

江戸の坂東京の坂(中公文庫:横関英一)
中公文庫としては絶版だが、ちくま学芸文庫から「続江戸の坂東京の坂」込みで生き残っているみたいだな。
地形的に坂の多い、江戸東京の坂を訪ね、写真込みで時代考証をしている本。絵図に出ているこの坂の由来とか、どうなってるんだ? みたいな感じで本書を引くと、イメージが深まる感がある。

日本人の住まい(八坂書房:E.S.モース)
明治初期に日本に滞在したモースによる、日本の住居に関する本。
「それが当たり前ではない異邦人」の、明晰な目を通じての住居観察は、痒いところに手が届くと言うのか、かなり参考になる。住居にとどまらず、色んな道具や生活様式に関しても記述がある。図版も多い。

江戸のアウトロー(講談社:阿部昭)
絶版本。
「膨張する百万都市、江戸。農民たちがその底辺に吸い込まれてゆく。博打に身を持ち崩す者は、商品経済の荒波に呑まれた単なる窮民なのか?それとも身分制の桎梏を脱して己の夢に生きようとした果てなのか?国定忠治、鼠小僧次郎吉、そして無数の無宿たち……。
史料の向こうにかれらの生死を見つめ、等身大の近世社会史を構想する。」(表紙より)
各種資料を元に、江戸時代の無宿人や博徒の実像に迫った本。どのような成り行きや仕組みで、人々が身分制社会から逸脱していくかのイメージを沸かせてくれる。

天井桟敷から江戸を観る(原書房:渡辺豊和)
絶版本。
これはちょっと変わった本。著者は建築家の方なのか? 江戸を劇場空間として見立て、舞台、楽屋、観客席などに各町をマッピングし、解説する。できすぎ、って感じもあるが、江戸の町を大づかみするには良い本だった。都市論としても面白い。

と、俺が所有する「思いのほか使えた」一部資料を列挙してみたが、やはりこの分野、絶版本が多いなあ。良書は見つけた時に買わなければ、などと思っていると絶対ドツボにハマることは分かっているんだが。

蛇足だが、時代小説を書こうとするとき、厳密な時代考証の上で表現しようとすれば、時間はいくらあっても足りない。ぶっちゃけ、調査の時間9割、物語を進める時間1割くらいになる可能性だってある。優秀なブレーンなどがいない限り、無理だ。なおかつ考証的に100%正しい時代小説などない、と思って間違いない。資料に淫することなく、物語世界を創造するという「切り捨て」も必要だとは分かっている。それでも、ってところはあるんだよな………。

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