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ベトナム・カンボジア旅行記 -8日目- 過去に地雷を埋めた人は。

2年前のベトナム・カンボジアへのインターンシップツアーに思いを馳せながら、記事を連載しています。本日は8日目。ベトナムのホーチミン、カンボジアの首都プノンペンを経て、カンボジアの古都、シェムリアップに到着しました。

本日紹介したいのは…

8日目の研修先で皆さんに紹介したいのはアキラー地雷博物館です。
アキラーというのは人物の名前です。そう、この記事のヘッダー画像の方がアキラーさんその人です。アキラーさんはこのツアー時46歳と仰っていたので、今48歳のはずです。

拙著で申し訳ないのですが、先日のこちらの記事を読んでからだとこの記事の背景がさらにわかるようになると思うので、是非読んでみてください。

アキラーさんってどんな人?

ガイドさんから聞いたアキラーさんの経歴を少し紹介させていただきます。

アキラーさんが5歳のとき、両親が殺害されました。そして10歳のときに少年兵としてクメール=ルージュに参加。そしてシェムリアップの密林で戦闘に参加していました。そうして戦っていた13歳のとき、敵であるベトナム兵に捉えられ、今度はベトナム兵として戦闘に参加。16歳から20歳までは政府軍に参加し、内戦を終えました。

内戦後はUNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構。内戦後、カンボジア王国が成立するまで国連が暫定的に統治していた時代。)で地雷の撤去作業に携わりました。この時、戦時中に自分たちが埋めていた地雷が人を傷つけている自責の念に駆られ、その生涯を今度は地雷撤去に費やすことを決意します。この頃から英語の勉強を始め、UNTACの撤退後には日本語の勉強も開始し、ガイドの仕事などで貯金。26歳のとき念願の博物館開設にこぎつけました。

アキラーさんは自らの地雷敷設経験を活かして、地雷が埋めてあるような場所を素早く探知し、丁寧に掘り起こします。そのスピードの速さは群を抜いており、15年間で約5万個の地雷を撤去したそうです。

↓こちらの地雷、全てアキラーさんが撤去したもの。四方八方びっしり詰まっていますが、これでもアキラーさんが撤去したほんの一部。

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博物館の運営は順調ではありません。2006年には博物館から撤退を勧告され、2009年にはアキラーさんは妻を亡くしました。今でも地雷撤去によって海外からの支援が減少することを恐れる団体の圧力があるそうです。

地雷について

地雷という兵器は、ある意味世界で一番残酷な兵器かもしれません。
地雷を踏んで即死、ということは少ないです。しかしほぼ確実に四肢のどこかが持っていかれます。死なない程度に生かし、相手の戦力を減らすと同時に、医療を逼迫させる。医療現場のキャパシティを圧迫することが如何に重大であるか、ということは新型コロナウイルスが蔓延する今ならより実感できるでしょう。それを人為的に可能にする兵器が地雷です。

加えて、地雷は安価に製造することが可能です。1つあたりの製造コストは500円ほど。1コインで人生に大きな影を落とすこの兵器は内戦時にカンボジアとタイの国境付近に約1000万個埋められたとのことです。内戦から30年が目前に迫っていますが、今でも300万個が埋められたままです。
悲しいことに今でも毎年5~60人が地雷による被害にあっています。カンボジアの識字率は未だ低いので、絵で地雷の危険性を説明する活動もしています。

展示物の写真

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アンコール遺跡群での戦闘を描いた絵。戦闘によって損害を受けた遺跡もあるのでしょうか。

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砲弾が展示されています。

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当時の戦闘員の服装を再現した人形。首に巻いているのはクロマーというカンボジアの伝統的な手織布です。

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兵器を組み合わせて作られた現代アート。

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こちらの写真は外の展示。フェンスがあって中には入れません。
こちら、ただの観葉植物的な癒しではないのですが、皆さんは何の展示かわかりますか?




正解は、地雷の埋まっている様子を再現した展示でした。

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見つけられましたか?たぶん奥にもありますね。

こちらの写真のものも探してみてください。

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あるとわかっていたら見つけられるかもしれませんが、意識せず歩いていたら絶対踏み抜きますねこんなの。地雷の怖さというのをひしひしと感じました。

アキラーさんが語ってくれたこと。

展示物を一通り見学したあと、アキラーさん本人が私たちに語ってくれたこと。それは意外な言葉でした。

それは、ポル=ポトに対してどんな思いを抱いているか、という質問。

私たちの誰もが、ポル=ポトを大罪人としてその残虐性を語るものだと思っていたと思います。

しかしアキラーさんは、ポル=ポトを優しい人だったと仰ったのです。ポル=ポトは6割が善い人で、4割が悪い人だと。そして、ポル=ポトを思い出したくない人が多く、正しい歴史教育が行われていないこと。ポル=ポトはカンボジア人を愛していたこと。今ポル=ポトを良いように言うと捕まる可能性があることを語ってくれました。それは少年にだけ見せたポル=ポトの真の顔であったかもしれないし、もしくはアキラーさんを騙していただけかもしれません。

けれども、その日まで私が抱いていた「サイコパスのジェノサイダー、到底理解できない思想」というポル=ポトへのイメージは偏見であったかもしれないと考えなおすようになりました。ポル=ポトの目指した社会には一定の合理性があったのかもしれない、と。今思えば、この時の経験が物事の背景にまで眼差しを向けることが如何に大事かを気づかせてくれたのだと思います。

また、幼少~青年期の戦争の記憶も語ってくれました。
初めて銃を持った時重かったこと。
発砲したとき、楽しかったこと、銃弾が綺麗だったこと。
練習で木の実を撃ったこと。
地雷を川で爆発させ、魚を獲ったり、ハンティングをして食料を確保したこと。
マシンガンやロケットランチャーの光が好きで、夜が楽しかったこと。
地雷の安全ピンを抜かずに埋めてサボったこと。
何のために戦っているかはわからなかったこと。
沢山友達が死んだこと。
時々かわいそうだと思ったこと。
おじいさんと敵同士だったこと。
当たらないように撃ったこと。
仮病で逃げたこと。
敵の兵士と晩飯を共にし、翌日の朝は銃口を向けあったこと。

普段の生活の中に自然と「戦争」が入り込んだような世界が、そこにはありました。アキラーさんにとってはその思い出は例え悲惨な戦争のなかであっても、思い出彩られた、無邪気な少年時代だったのでしょう。アキラーさんの話で、カンボジア内戦という戦争の特異さが垣間見えたました。

最後に

アキラー地雷博物館には、アメリカ、オーストラリア、カナダ、スイス、日本、韓国の国旗があがっています。1000万円以上の支援で旗があがるそうです。日本にも日本人応援団があります。コロナ禍で今は厳しいでしょうが、日本での講演する機会もあるそうです。
アキラーさんには政府の支援はなく、民間の協力を受けながら博物館を守り、地雷を撤去、地域住民への啓発運動をしています。

日本人応援団のサイトもあるので、アキラーさんの活動をより知りたい人は是非。

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