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江 國 さ ん 温 泉 に つ か り ま し た 。

またまた、良き読書をしました。
1ページ目に入るきっかけがなかなか掴めなかったけれど、入ったら、どぼん。そんな感じで、江國さんワールドに入り込んでしまいました。
「きらきらひかる」再読です。

今月はじめ、ひさしぶりに江國さんの「つめたいよるに」を読んだら、きゅんとしてしまって。20代のころに読んだ感触とはまた違ったんです。いろいろ経験してからの、再読って、やっぱ捉え方が変わりますね。読書っておもしろい。深い。

で、昔読んだ江國さんの本で、ふしぎな、でもとても好きなやつあったんだよなあ~ でもどれだったっけかな?と、図書館でいろいろ探していました。「きらきらひかる」か「神様のボート」か「なつのひかり」。(←どれも昔持ってたけど断捨離で手放してしまっていたのでした)
そのうちの「きらきらひかる」が、それだったんじゃないかな?と思い、借りてみました。

そしたらば。

その、ふしぎで好きなやつ、ではなかったんですが、再読したら「あ、こんな話だったっけ?」と初めて読んだみたいに読めて。(前に読んだのが10年以上前っていうのもありますが)以前の自分の感想をチェックしたら「静かな狂気?」としか書いてなかったんですが、いやいやいや、そんなもんじゃないよ!めっちゃ良いやん!と、なりました。今の自分にシンクロしたんです。

(あ!ここからネタバレありまくりです。まだ読んでなくて今後読むかもって方はお気をつけください)

「きらきらひかる」あらすじ

私たちは十日前に結婚した。しかし、私たちの結婚について説明するのは、おそろしくやっかいである――。笑子はアル中、睦月はホモで恋人あり。そんな二人はすべてを許しあって結婚した、はずだったのだが……。セックスレスの奇妙な夫婦関係から浮かび上る誠実、友情、そして恋愛とは? 傷つき傷つけられながらも、愛することを止められないすべての人に贈る、純度100%の恋愛小説。

*By Amazon

あらすじ読んでから小説読むの好きじゃなくて、読みながら、ほうほう・・となっていったのですが、なんだかタイトル通り、このお話のなかに出てくる皆がきらきらと輝いて見えて。主人公?の笑子は、すっごく真っすぐで奔放で。そんな笑子に同姓愛者の旦那さん睦月はものすごく振り回されまくってるんだけど、ふたりがお互いを愛してることが、どことなく伝わってきて。それがとても切ないんです。睦月には彼氏がいるけれどでも。夫婦の形って人それぞれなんだろうなあ、って思いました。十人十色っていうか・・。この二人は独特なバランスで保たれてるんです。

なにより、睦月みたいな旦那さんがいいーー!!!
と、なりました。底無しに優しいんだもん。女の人は恋愛対象ではないのだけど、笑子という人間が好きなんだろうなって思います。それが伝わる優しさ。ありのままの笑子を受け止めてる。うらやましいな・・って思いました。わたしが求めてる優しさってこういうやつ!まさにそのものでした。こんなとこにあったか・・ ああ、江國さん、お話として書いてくれてありがとう。お陰さまでわたしはこんなパートナーがいいな、っていうのをいつでもこの本を読めば思い出せます。
そう、ホモだとちょっと困るけど・・(いや、意外と大丈夫だったりして?)この本に出てくる睦月みたいな人がわたしはタイプなんです。

めっちゃ本の中身の解説下手ですね。わたし・・
睦月が自分のタイプすぎて暴走してます。

それはさておき、江國さんの文字たちから香りたつ、江國さんしか書けない世界にも、ほおっ となりました。このあたりのことを共有できる人がいたらとてもうれしいなぁ・・ と思いながら書いてみます。
たとえばわたしは、このあたりの表現が好きでした。

湯あがりに飲むエビアン水は夢のようにおいしい。
からだのすみずみまで清潔な水がいきわたり、指先まで健康になるような気がする。ベランダにでて、ごくごくと音をたてて飲む。

エビアン水、夢のように、ごくごくと音を
ひとつひとつの言葉の選びかたが合わさり、独特の江國さんの世界にいつもとりこまれる。自分もごくごく飲んでるような気分になるんだよね。不思議。この箇所を読んでるとき、からだのなかに水がごくごくと入っていきました。

望遠鏡を通してみる夜空はきちんとトリミングされている。まるく切りとられた宇宙に、無数の星がきらめているのだ。六百光年の距離をこえてとどくリゲルの光に圧倒されながら、僕は目をこらす。十一光年のプロキオン、五十光年のカペラ。

トリミング。まるく切り取られた宇宙。歌詞のように綺麗な言葉たち。プロキオンもカペラも全然わかんないんだけど、響きがきれいでうっとりしてしまう。

住宅地には人影がなく、春の夜はあたたかくてやわらかで、羊羹のような闇だ、と僕は思った。

羊羹のような闇、目の前にざっとひろがりました。

窓のそばで、笑子はごくごくと音をたててビールを飲んでいる。風にのって、雨の匂いが流れこんできた。

ごくごくと、っていうのがどうも好きみたい。窓のそばでがポイント。
笑子ってほんと奔放なんだなって妄想がひろがる。本来座るとこじゃないとこに座って飲んでるのかなーって思っちゃう。

おもては白みはじめたあいまいなグレーで、月や星はどんどんうすくなり、弱弱しく空にはりついて、街灯がきまり悪そうに光を放っている。早朝のドライブは、学生時代を思いださせる。(中略)あかるい空にぼんやりとかかる月を、こんな風にいつも高速道路のフェンスごしにみた。ところどころにある、非常電話の緑色の看板、出口を示す矢印。こうやって走っていると、あの頃にもどったような気持ちになる。

すごい分かる・・ って思った。とつぜん、昔の思い出がよみがえる瞬間ってあるんだよね。たとえば、ざぁっと風がふいたときとか。早朝の空気も、思い出すものがあるなあと思った。高卒で初めて就職したスーパーで知り合った年上の大学生のバイトの男の子に、ドライブ連れてってもらって。はじめて朝帰りした日。

このお話のなかで笑子は、しょっちゅう紺くん(睦月の彼氏)の木に紅茶をあげてて、そのシーンも好きでした。木に紅茶を飲ますとか。意味わかんなくてかわいい。

私はぴかぴかに磨かれた床にうつぶせに寝そべって、ベランダごしに夕方の空を眺めた。ほっぺたがひんやりして気持ちいい。目をつぶって体じゅうで耳をすませる。なつかしくて清潔で安心な部屋の気配。こうしていると、睦月に抱かれているみたいだ。私はそのままじっとしていた。何てやさしい部屋だろう。壁も窓も天井も床も、全部が私を見守ってくれている。目をあけなくてもわかる。感じるのだ。ここが私の場所だ。

ここの表現はすごくお守りにしたいくらい好きでした。
「ここが私の場所だ」そんなふうに思える場所を、わたしは見つけることができるのかな。
実家は今の私の場所じゃない。今は正直見失ってる・・
ここが、って思える日がくるのかな。
笑子が感じたように、わたしも感じれる日がくるといいなってすごく思った。わたしも寝そべりたい。安心な場所で。
わたしのなかにいる笑子のように奔放なわたしをもっと出したいと思った。泣いたり笑ったり。人がどう思うかとか気にせず、自由に行動したり。
笑子を見てたら、なんて今のわたしはきゅうくつなんだ!って思ってしまった。笑子になりたい。アル中じゃないけど。でもこれがまた、おいしそーにお酒を飲むんだよなあ。

そんなわけで、とっても良いきぶんで江國さんの本を読みました。
ああこんな気持ちで本を読めるのがしあわせで仕方ない。
ひさしぶりに本読んでこんな気持ちになった。
好きな本はたくさんあるけど、江國さんの本を読んでしか感じられないことっていうものもあるから。

また、つかりたいです。

そして次は「なつのひかり」を、読みます。
(わたしが探してた、不思議で好きなやつ、なつのひかりだった気がしてきた)

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