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肩をたたきたかった件

それは少し前に母と二人でテレビを見ている時のことだった。番組はちょうどストレッチの重要さを説いているところだった。首と肩の筋肉をほぐす方法を説明している。

骨盤のゆがみがやがて全身に広がってしまうなど、なかなか怖い内容を放映している。そのうちスタジオでは出演者がストレッチを実際にやってみるというコーナーに移行していく。


最近スマホの長時間使用によるストレートネックを気にしていた私はやってみようかと立ち上がった。試しにやってみたけど少しは違うのかなくらいのあいまいな効果しか感じられなかった。

普段パソコンを操作している時間の長い私だけど、今まで特にストレッチなどしなくても大丈夫な生活だった。横で同じように試しにやっている母を見ていると、いきなり振り向いて肩をがっと掴んできた。

「え!?何?」
「いいから!」

そうして何故か母に肩を揉まれる。

「やっぱり!あんたカッチコチよ、これ。すごい肩こり」
「でも私、肩が痛いって思ったことないよ」
「自覚なしで肩こりがひどいっていう友達が昔いたけど、それと同じね」


私は言葉をなくした。今まで全然自分が肩こりがひどいなんて思ったことがなかったし、むしろ無縁だと思っていた。パソコンのことで症状が出るのは眼精疲労だし、スマホではストレートネックくらいだと思っていた。

「ほら、私の肩も触ってみなさい」
「全然私と違う…」
「お風呂で湯船に入るようにして血行良くして。それでさっきのストレッチでもしてケアしなさいね」
「はーい…」

母の華奢な肩は私よりもずっと柔軟だった。弾力もあってしなやかな印象。対して私の肩はひんやりとしており、硬くて揉みにくい。普通は年齢的に考えると逆なんじゃないだろうかとふっと意識が遠くなりかける。




そんな中で思い出したのは幼少期のことだった。とある友達に学校で「肩たたき券」の存在を教えてもらった私はそれを真似してみることにした。

折り紙を適当なサイズに切ってペンで大きく「かたたたきけん」と書いて母にプレゼントした。すると母が言ったのはこんなことだった。

「ありがとうね、でも大丈夫よ」
「えー…プレゼントなのに」
「じゃあ、ちょっとだけ」

その頃は手も小さかった私は、肩揉みに挑戦してみるけれどもうまくできなかった。力もないのですぐに疲れてしまう。がっかりしている私に母はこう言った。

「ありがとう。続きは大きくなったらやってちょうだいね」
「うん」



そうだ、この時の約束を果たそう!

急にわくわくしてきた私は母に「お母さん!肩揉んであげるよ!」と声を掛けてみる。何となく気乗りしなさそうな母の体をくるっと反転させ、私はぎゅっと母の肩を掴んでみた。

その瞬間。

「痛い!」
「えっ?」
「あんた力入れすぎ」
「ごめん…」


それから何度チャレンジしても母の肩をうまく揉むことができなかった。力の入れ方など微妙に変えてみたものの、何かしらの形でダメ出しが出る。

「力が入りすぎなのよね。小さい頃やってくれたくらいがちょうど良かったのに」

小学生の自分が憧れた今の私の姿。大きくなったらお母さんの肩を揉んであげようという小さな誓い。それに今の自分はなることができていなかった。このショックはけっこう大きかった。




それにしてもあの母の華奢な肩といったら。3歳くらいまで子供をだっこしたりしていたとはとても信じられない。

母は強しというけど、ここまでの負担をしても守り育てていこうと思うものなのか、と脱帽してしまう。そこにあるのはただただ感謝する気持ちだった。


月日は巡る。あんなに細い体で私を守ってくれていた人はもう私よりずっと小さくなってしまった。私は何か返せているだろうか。

母は「目の前にある自分のことをやっていきなさい」としか言わない。だから私も自分のこの先の人生のことを考えている。

母のいる、これからの人生を。




(後日母には「まあまあね」と言ってもらえたので良かった)

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