山頂 風湖

産まれてから32年経ちました。 日々の学びを忘れない様にnote。

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産まれてから32年経ちました。 日々の学びを忘れない様にnote。

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「似合ってますね」じゃなく「好き」

ある服を見て、褒めたいと思う。そんな時に「似合ってますね」よりも「その服好きです」と言うと感じが良いらしい。前者は評価であり、自分が相手を一段上の高みから測定して見解を述べている。確かにそうだ。後者には何の上下関係も無く、ただ自分の感想を述べているに過ぎない。相手との間に勝ち負けが発生しない。だから感じが良い、のだそうだ。 数日前に、実際にやってみた。とは言っても、大したことはやっていない。「xxですね」と言っていたところを「xx好きです」と言い換えただけだ。しかし、効果は

    • 思考のウィルスから身を守る方法

      小さいころから謎な事がある。どんなに気を付けていても「上から目線」「物言いが気になる」という風評が周囲の友達に立つのだ。当然、自分自身にも至らない物言いがあるのだろう。可能な限り直してきたし、感じのいい話し方の本や人間関係の本も読み勉強をしてきた。 でも、いくらやっても、いくら良くなっても、やはり合わない人はいる。自分の意見を言わずに、察してほしいというタイプの人だ。ガサツな私と同じように、繊細な世界にその人は世界を見つめているのだろう。別にそれは否定をしない。だけど私に関

      • 動いてくれないと思うから怒れる

        自分がして欲しくない結果を、他人が招きそう。そんな時には、ついつい声を荒げてしまう。これを穏やかに「それ、ちょっと困るんだけどね(笑)」って言えれば万事うまくいくはず。懐の広い人にも見て貰えて、尊敬してもらえるに違いない。 相手に注意をする時は穏やかにモタモタと。相手に注意された時は素早く非を認める。これも練習すれば上手く出来るようになるはず。今日はもう寝よう。

        • 大人が友達を作るということ

          数年前まで世の中には悪い人が溢れていると思っていた。世の中とは家族・会社の外。隙あらば人を食い物にしようとする人たちばかりなのではないかと思っていた。子供の話ではなく、いい大人である私の話である。だから、元々少ない友達が、大人になるとますます少なくなった。 変わったきっかけはある資格の取得だった。資格保持者の有志が集まった任意団体が有り、その集いに参加してみたのだ。コミュニケーションというよりも、その資格の役立て方を転職などの視点で得られるのではないか?という情報収集が目的

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        「似合ってますね」じゃなく「好き」

          自分の煌めきは他人には見えない

          私には、過去のキャリアから圧倒的に強い領域がある。中途入社だからだ。今の上司・同僚達が見えない世界を私は知っている。だから、私の強い領域に彼や彼女たちが入ってこれば、赤子の手を捻るような物だ。 だけど、その領域は目に見えない。だから、本来ならば尊敬と畏怖を払うべき私の意見を、黙殺したり絵空事と笑ったりする。それならばまだましな方で、もっとひどいと自分が私に本能的に感ずる劣等感を「違和感」という言葉で表し、業務改善の指導を行ったりするのだ。馬鹿らしくて付き合っていられない。本

          自分の煌めきは他人には見えない

          芸術の周期性に少しだけ興味を持てた話

          私は芸術が苦手だ。絵を見せられても、フウンとしか思えない。だって、単なる昔の人や風景がぼやーっと書かれているだけだったり、そもそも意味不明な物もあったりするから。絵を見て、あれは良かった、これはイマイチ、それは嫌い・・・そんな感想を述べる人たちの事を、分かったふりをしているだけの浅はかな人とすら思っていた。ごめんなさい、私が見る目がないだけだと思います。 しかしそんな私も、最近芸術にちょっと興味を持てる事があった。きっかけは、ある作家の作品展を見に行ったこと。調べてみたら絵

          芸術の周期性に少しだけ興味を持てた話

          他者に興味を持つために遊ぶ

          他者への興味は価値観を知り調和する第一歩。だからと言って、自分に無価値な石ころを我慢して眺める様な振る舞いは精神衛生上良くない。だから私は他者に興味を持てない事自体はいいんじゃないかと思うしそんな自分も許そうと思う。 結果として興味が無いのはいい。でも、結果に至る過程がゼロなのも良くない。だから、興味を持つべきかどうかを判断するための機会は作っていった方がいいと思った。ランダムに近くいろんな人と会ってれば、興味の持てる価値観を持つ人に出会えるかもしれない。 価値観が発揮

          他者に興味を持つために遊ぶ

          人は予測不可能であり、恐れる

          私は人があまり好きじゃない。自分の他者への言動が、どのような結果を産むのかが予測不可能だからだ。具体的には、話が通じない・伝わらない。こう言えばこう理解してくれるでしょ?と思っている事が何度も裏切られている。だから人があまり好きじゃなくなったのだろう。 なぜ、予測不可能なのか。それは、他者の前提が分からないからだ。人は価値観に準じて行動を取る。行動の前提は価値観であり、その価値観の中に私が知らないものがあるのだろう。他者の価値観を知らないから、私の言動に対する結果が予測でき

          人は予測不可能であり、恐れる

          事実を確認してから行動を取ろう

          最初は和気あいあいとした人間関係でも、仲良さの一線を越えると辛辣な言葉を投げつけてしまう。そんな言動に至る自分を止めたい。ちょっと仲良くなったな、自分の事を理解してくれるな、と思い始めた時が一番危ない。自分の中にある、期待や理想や想い。それらとそぐわない行動を取った相手に、いきなり厳しい言葉を投げつけてしまう癖が私にはある。 こんな癖は無くした方がいい。でも、癖は無意識に取る言動なので、その無意識の泉で何が起こっているのかに注意を払わないといけない。引き金は失望だと思う。自

          事実を確認してから行動を取ろう

          嫌な人の上を行く嫌な人になろう

          私には残念ながら嫌いな人がいる。仕事の成果を横から攫っていくタイプの人だ。仕事は奇麗な部分と汚い部分に分かれる。汚い部分を一生懸命やって成功しそうになると、遠くから見ていて奇麗な部分を横取りし去っていくのだ。まるで自分がその全てを成し遂げた様に。 このような人が許せない。いや、このような人は自覚は無いのかも知れない。ただ、自分が得意な事を得意な範囲でやっただけ。私は奇麗な部分の仕事がその人よりも苦手だっただけ、つまり「かなわん」だったのかもしれない。これも許せない所だけど。

          嫌な人の上を行く嫌な人になろう

          怒った自分を観察する

          他人に威圧感を与えてしまう。私はそんな人間だ。この文章を有難い事に読んで頂いている皆さんには想像つかないかもしれないけど、悩んでいる。威圧感なんて出してない。でも怖いと避けられる。致し方ないかなと思うし、周りが弱すぎるのでは?とも思う。だからこそだけど、人と暖かい関係を構築したいという想いは心の何処かで燻っている。 そんな私が今日学んだ「怒った自分を観察する」という方法を忘れない様にnoteする。私の為のnoteだ。ひょっとしたら読んで頂けた皆様にも役立つかもしれませんし、

          怒った自分を観察する