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爆弾低かつれつ

春には調整機能がぶっ壊れる所為で、まともに出歩いたら腸活がいかれたお話をしました。

その続きがありました。ヘッダ画像をお借りしています。

整腸機能がよくわからんなった次の日にも、結局その日の使命が果たせなかったがために臨時遂行……代行することになった。そう考えるとすごいですね。一日だけ焼き芋焼いて真面目に引きこもってた気がしますが、その週は毎日外に出て何かしらの用事をしていた。快挙以外の何者でもない。

春は力の低下がパない

前回(上記リンク)では、

バリア機能の低下
寒暖差で自律神経がイカれる季節なのに環境変化もせなアカンからそれによる春ストレス
血虚

……と数多の人生阻害成分が春に放たれるということがわかりました。

ちなみにですが、かつれつのような油まみれなものを食うと花粉症が悪化します。

数多の人生阻害成分が春に放たれていたせいかわかりませんが、割とクリティカルなダメージを受けました。

次の日

で次の日も飄々暮らしていたのですが、上記の通りできなかった用事を遂行しなければならない。

めっちゃ遠くに行くつもりだったんですが、流石に次の日はやめといたろ的な気分になる。なんとか近くで済ませられるように画策する。

しかも、いま部屋の整理をしていることを思い出して、ついでにジップでどうでもいい思い出の紙がしまえるワンコイングッズをついでに買うかなと思った。

結論から申し上げれば、それは「『爆弾焼き』という食べ物の屋台ではどんな体験が得られるのか」という疑問を生じさせるのと同時に達成されました。達成されたが疑問が残った。

夜作業~会話

なまじ達成されたことで、その夜は面倒にも急な掃除と整理整頓をする羽目になった。おかげで新聞を読むのが遅れるというリズム破綻が起きた。重症を負った(重症?)次の日にすべきことではない。

外に出ると急に数多の人と話すことにもなりますね。それはそこまでストレスだった気はしないんですが、普段使っていない神経を使って認識できない負荷(ストレス)が溜まったりもするのでしょうか。職の業的会話じゃなければ、しゃべることに対してそこまで抵抗がない。

抵抗がないといいますか、その目的を遂行するための手段として「会話」が合理的かつ最小工数にするための最適手段なのだとしたら、別に躊躇いなく選べるだろうなという程度の客観視をしています。会話という物象に対してですね。

それは店員に話しかけられると(上記神経の負担で例えると)多分神経が切り裂かれるけど、自分から話しかける分には時間的コストの削減だし別にエエカぐらいに思えるはずだということでした。

三日目

また三日目も用事が生まれてしまった。そして身体が……また明日お話させてください。

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