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書が捨てられない、町に出られない

学校のコラムで授業をZoomかなんかですることになった教授の話を読んだことがありました。

教授からすると、オンラインのみの授業は苦痛に満ち溢れているらしい。それはなぜだろう?曲がりなりにも目の前の生徒たちが自分の話を聞いているかどうかがわからないから?

教授とはそないに承認欲求にあふれた生き物なんだろうか。知識とはそこまで簡単に人に開示するに至らない高尚なものなのだろうか(←多分このように書かれているので承認欲とかは置いといてこれっぽい)。

でも、その生徒たちとはわりとべらぼうな学費を納めたからそこにいるんじゃないだろうか。オフライン授業だったら、なんも関係ない人々が紛れることだってできてしまう。一度なんかの時に田原総一朗の授業部屋で門番が設置され、マジで当該授業を選考している(つまり補助金かなんかを出してるかどうか)が確かめられ得ないと部屋から追い出される人々を見たことがあるんだけど、「マジかよ……」というのがぼくの感想だった。御大層すぎる

と思ったんだけど、社会人入学の人とかが受けるような例のP&Gマフィア(爆)上がりの吉野家ディレクタだかなんだかがドヤ顔で披露していた例の授業(九州から出てきた女を麻薬漬けに~~)みたいなものだったのかも知れない。

あれは確かマーケター(都合がよく便利な単語だ)としての専門領域をどうこうするために学外からめんどくせえフィーが発生するゲストを招いてそいつらだけが授業するみたいな言わば学校というプラットフォームを利用し倒した「広告授業」だったかもしれない。うちの大学ってこんな先駆的な授業してますよ、金を落としにきませんか。広告なら余計無料で開催したらどうかというのは言っちゃいけないんだろう。産学とは話題性があって集客=金儲けが両立しなきゃならないらしい。

多分そういう連中は教授陣がもらうよりも法外なフィーを貰っているはずなので、開講できるぐらい生徒が集まれば(つまり金が集まれば)あとはオンラインだろうが授業中に携帯でエロサイトを見てる連中しかいなかろうが問題がない。だって女をいかに薬漬けにするかについて金払わせて聞かすんですよ。

大学の正社員たる教授(くそめんどくさいけど正社員とは本当は職員のことであり、教授たちはMCNにおけるMCN運営母体と業務委託契約を結んだ個人事業主と表現したほうが良いのだろう)たちはその特別ゲストのような桁違いのフィーはもらえてない(ああ、情けないことに女学生を麻薬漬けにしたい男の懐には夥しい数の金が入るのだ)けど、自分の研究成果を発表する場所が授業でもあると理解すればオンラインに価値が見いだせないことがわからなくもないけど、概して大学の授業とは一方通行ではないだろうか。

特に大教室ともなればそこにインタラクティブはなく、三年次以降の演習にしか大学教授の研究テーマにすら影響を及ぼせる生徒の意見なんて活発に出てこない気がする。教授は生徒の発出した考えを補助してやることで自分の研究テーマを客観視し、新しい境地へたどり着く。だから大学で教えの立場にある人は、はっきりと演習以外の授業はパートタイムだと言い切ってくれればこちら(受ける側)も気が楽なんじゃないだろうか。

ほかに例えば……写真のように電車の中で携帯ばかりいじっている人々がいたとして、これを健全な状態と思うかどうかは人によってかなり異なる。

ぼくは仕方無しの健全な結果だと思うんだけど、上の世代の人々は携帯の向こうに広がる言わば文字だけだろうと別のバースつまり陳腐すぎてあまり使いたくないけど何らかのメタバースと行き来している下の世代があまり理解できないんじゃないか。

電車の中を見渡すと、本来こんなにコミュニケートできる、意思疎通できる人間たちであふれているんだから、携帯を置いてその目の前の人々と話なさいとでも言うのだろうか。それをやってしまえばぼくらは不審者扱いされることを知っている。ああ、電車の中で暇をつぶそうと近くの人と話すことさえ犯罪と化す世界にぼくらは今日も生きているのだ。

だから誰もが犯罪者になりたくないと、仕方なく手元の携帯の画面を見るしかない。人に迷惑を掛ける犯罪者になろうとしない努力をした結果、スマホ依存とかながらスマホで人を殺す(どこぞのガキが自転車で携帯を見っぱなしだった結果、老人を轢き殺したのは記憶に新しい話だ)社会が形成されてしまった。この悲しい構成物的文化のたった一部だけを見て、多分今日も「きちんとした」立場を持った世代は下の世代を嘆かわしく言うのだろう。

安全地帯に陣取って下位世代を馬鹿にしたいんであれば、まずはその有り余る財と権力で、矛盾が矛盾を産むこの悲しい構造を修正してくれてはいかがだろう。

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