どうしてほっておけないのか
ぼくらが生きていなかった頃(独自表現)のドラマを見ました。ヘッダ写真をお借りしています。
めちゃくちゃ若い鶴瓶がまず目に飛び込んで来、その人相の悪さに対して反社会的勢力なんだろうなと思ったら頼れるおやじみたいな役だった。人は見た目で判断してはならない。
時代を感じてすっげーなと思ったシーンがあるのでぜひお裾分けしたい。
時代なのか、地方なのかわかりませんが少なくとも東京じゃないんですね。舞台がですね。
連ドラあるあるの京都弁だとぼくは思いました。このnoteは一過性の行動だけ切り取ってぶち上げるという手段をとっているため、詳しい年代や正式名称には触れません。
山口智子が民宿の厨房か何かを若女将か何かとして仕切っている。後々判明するが、その旅館は甲子園のチームを受け入れる旅館らしくて、その辺に売り上げの主軸があるっぽい。
もうすぐ大会に出る高校生たちが泊まりに来るから、おそらく厨房はせわしなくてたまらん。そこへ山口の血縁者っぽい唐沢寿明が帰ってくる。
民宿の営業担当なのかリーマンなのかわかりませんが、およそ旅館の繁盛してまっせ的な勢いとは真逆とすら言えそうな意気消沈したムードで帰ってきました。ほら~~ほ~らほらほらほらららららやってきたあ~~~
何が合ったかさっぱりわかりませんが(なにか既に他界してしまった兄弟が好きになった人と唐沢がどうにかなろうとしていて兄弟に義理立てるんだかなんだかで由々しき事態になっていた?)、唐沢からしたら地獄ですよね。
人生のクリティカルな悩みがあって、そんな「生(せい)の活性化」が行われているとでも言うような、しかも異性しかいない現場を歩いて自分の部屋に帰らねばならないなんて地獄以外になんとする。
その先には案の定地獄の窯が蓋を開けており、なにか唐沢を心配しなければ憲法違反にでもなっちまうのか然とした勢いでその女中たちが猛然と唐沢を心配しまくる。
ほっておけば
リーマンみたいな格好でふてくされながら帰ってきた唐沢が目の前にいるんだから、といいますか視界に入ったんだから、しかも本人は少し疲れて横になりたいだけだっつってんだから、つまり答えは明かされているんだから、ほっておけばいいじゃないですか。
女中たちは次々に話しかける。
どうした、具合が悪いのか、医者にかからなければ。
ぼくが、息が止まるほどキッツと思ったのは次のシーンです。山口は女中たちに、ウチがちょっと(2階かなんかの唐沢の部屋を)見てくるわ、と言う。
やめたれや
唐沢が言葉通り横になっている描写が映される。障子が勝手に開けられて山口が入ってくる。
障子というツールは「コミュニケーションの強姦」しか生み出さない日本文化および風土における「失敗の象徴」と言えるのではないか?
でマジで「病院に行くか」だのなんだの言ってくる。声を大にして言いたいですが、ぼくは山口智子が嫌いなわけでも唐沢を特別に寵愛しているわけではありません。
さっき明確に答えを提示したやろがい
このシーンは見てて「何の意味があるのか?」「精神虐待か?」「新機軸のネグレクトか?」とそわそわした。共感性羞恥の刺激というものでしょうか?
悩みがあってそれを個人で解決する旨が提示されたのであれば、後はIt's own Businessです。
それが何十年前の日本の当然の文化だったのだろうか?恐ろしいですね。
それでは良い週末を。。。。。。。
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