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Goner girl

アストリッドとラファエル 文書係の事件録というドラマを見ていたら、主人公が印象的なせりふを言いましたのでアウトプットするnoteです。ヘッダ画像をお借りしています。

そのせりふとは死に関わるものだった。死に関わるせりふとは、死者のことを指していながら必ず生者から発せられる。なぜなら死者はどうやっても言葉を発せられないからだ。ぼくは死についてのnoteを編纂しているから書かないといけないなと思った。

果たしてアストリッドが発したせりふとは「人は死んだ人について、なくなったとか失ったとか、逝ってしまったと表現する。まるで死んだという事実から目を背けているようだ」というものでした。意訳の細かい部分は気にしないこととする。

死んだ人をしてその事実から「目を背けている」という視点は多分日本文化では得られない確信的な考えであるように思える。何だか知らないけど物事を直接言わない文化が日本に根づいていますよね。別にそれを美しいとかきれいとか慎ましいとか思う感性がぼくにはない。

だからアストリッドの指摘は確かにそうだと思うんだけど、それを人間社会でガチで言ってしまったらどうなるのかも容易に想像がつく……

アストリッドはサヴァン症候群みたいに何か特殊能力ともいうべき凄まじい才覚がある分野にある女のようだった。だったらそう言うのも頷ける……頷けるという表現はことさらに失礼な気がする。

死とはあまりにも重いからその事実から目を背けたくなるのでしょう。ぼくが過去に書いた人の死についてのnoteからもその様相が伝わってきます。伝わってきます、って他人事みたいだけど、人の死を他人事にするまでにどれだけの訓練や経験が必要なのかぼくにはわからない。

彼は死んだ、とか言ってしまうのは失礼に当たるのだろうか。当たるのだろう。何にとって失礼なのか。遺族でしょう。死んだ当人に「きみ死んだね」というのもそれなりに失礼だろうけど、その周りに遺族がいたらより頭にくるだろう。もはや侮辱か。

葬式で棺桶の前で、あなたは死にましたね。あなたの死に顔をぼくは今見ていますね。と語りかけるのはどうでしょう。それはなにか郷愁にも似た感情を生む気がする。

Undertaleにクラムガールという恐ろしいキャラクタがいます。なんで恐ろしいかっていうとあらゆるすさまじい場面を経てエンディングまでたどり着いたプレイヤーに対し、わけのわからない事実を突きつけてくるから。

もはやねたばれなのかそうでもないのかもわからないのですべてを書きはしませんが、RPGにおいてあー世界が平和になったなったこれで満足じゃ、となった遊んでる人に対して牙を向いてくるようなキャラクタが恐ろしいと言わずしてなんというのでしょうか。

Undertaleでは生気を失ったキャラクタに「Goner」という冠詞がついていることがあります。黒目がなかったりする。既存のキャラクタに比べて色が失われていたりする。「逝ってしまった」のでしょうか。

あるいは何か見えてはならないものが見えてしまっている、正気を失っているものに対してはGonerと表現するしかないのだろうか。

歌にも似たような表現があり、TRANSTIC NERVEという方々がhideのever freeをした際、最後のコーラスでコーラスをそのまま演奏せず、なにか幻影の中にいるような、時が止まったような遠い蜘蛛の向こう側の中の音が演奏されているようなエフェクトがかかる。

これもhideが既に逝ってしまったことを指しているのだろうか。その後それまで通りに思いっきり演奏が戻ってくるんだけど、一瞬そちらに行ったつもりで演奏してますよTRANSTIC NERVEは、という表現になるのだろうか。

弔いの方法は人それぞれであり、何を「逝ってしまった人」だと表現するかもその人の自由なんだろうけど、その人の自由すぎて軋轢があるように思える。そしてそれは人が死に続ける生き物である限り永遠に終わらないのだ。


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