見出し画像

見世物にしちゃいけないからこそ観なきゃいけない

ぼくは初めて消防の裏側、あの緊急回線から電話を受ける現場をモニタ越しに目の当たりにしました。ヘッダ画像をお借りしています。

それは情熱大陸の東京消防庁回でした。ぼくは東京にはいないけど、そんなの関係なく誰もが観ておいたほうが良いように思える。そこには顔も名前も縁もない誰かの命を救うために人生を賭している人たちがいた。

「命をかける」という表現にしなかったのはあまりに安っぽくなるからです。曲がりなりにもそれが職の業として成立しているからであるということもある。

ぼくがこの回を観て思ったことは、仮にとんでもない笑えない戦争が起こったとて、通信インフラや交通インフラが絶やされない限りは救急搬送行為は成立するということです。

戦争が起こると軍とか武器の扱いに長けたりとかいう人が重用されることもあるだろうけど、それとは別に(といいますか、戦争が起こること自体がイカれすぎてるので起きてはならない、起こしてはならない)致命的な状態に陥った誰かを生かすためにキャッチアップして、生かすための何かしらの対応が受けられる現場へ連れていくという行為は世界がどんな状態に陥ろうと誰かの役に立つ。

ということは人間社会がどうなろうが、救急とは過去や未来を問わずして必要な職であり業なのだということがわかるでしょう。

知らない誰かが死なないように守るなんて綺麗事のように思えると思います、でも彼女ら/彼らはそれをマジでやっているわけです。ブランディングやマーケティング(採用系の)なのかも知れないけど、よくカメラなんて入れたと思う。だって少しの遅れが命の救われる可能性を下げるとかに直結する現場だから。

だからメディアに出た彼女ら/彼らを責めるべきではないし、ぼくらは彼女ら/彼らがどのように命をマジで救っているのか知らなければならない。ぼくはこの情熱大陸を今までで一番の衝撃とともに見た。同じぐらいの衝撃に産婦人科があった。

命を左右する現場を映しても良いのだろうかという葛藤がぼくの中にも見る前はあった気がするが、そんなものは瓦解してしまった。オープニングから画面に釘付けになったからだ。それまではぼくは今日つべでみた面白げなイベントの良さが良いと思ったからそっちを文にするつもり満々だったがこっちで受けた衝撃を文に起こさねばならないと思った。そして今実行していますのでそれなりに説得力があるはずだ。あってほしい。

まずオープニングの衝撃は隊長の一人が多分過去に救えなかった命を思い、涙を流すまでのシーンをノーカットで流したことだった。つまりは救急隊にはそのような人々が集まっており、集団を結成しているのだという事実があるということです。車で現場に行く人もいれば、その現場に行く人を正確に現場に連れていくために正確な情報を受け渡す電話番とか様々な人がいる。

そこまで優しい人々がいるのだとか、だから平和なんだとか甘っちょろいことも思ったけど、そこまでの覚悟で自分の人生を命の救出に費やしている人々だけで構成される集団があるのだ、という、よくよく考えれば未就学児でもわかることを今更思い知った。

さらにそれが顕著にわかるのが休憩シーンだった。基本的に出動している時なんて撮れるわけがないから休憩しているところを撮るのが当たり前だろうけど、休憩して普通に話しているところでももちろん全国――――――といいますか都内に限定されはするでしょうが押される電話番号の数字は全国に開放されているためどうしてもそのようなイメージを持ってしまう――――――に119という番号は開かれているわけだから、救急隊に出動要請を告げる電子音が鳴るわけです。

すると休憩所にいた隊員は普段の仕草から一斉にナチュラルに緊急出動の動作をし始める。ごく自然なわけです。就業規則にそう書いてあるからとか公務員法でどうこう決まっているからとかじゃなくて、同じような経験を何度も重ねていないとこんなことできない。それにも衝撃を受けた。その経験の深さに。

言葉がやまないので、もう一度視聴してまた書きます。お読みくださりありがとうございます。そしてすべての救急隊の人々が怪我や事故にあわないことを祈る。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?