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アル・パチーノは多彩だ

アル・パチーノのファンからしたら今更何言うとんねんて感じだと思うんですが、ぼくは意識してアル・パチーノを見始めたのがここ数ヶ月なので許していただきたい。ヘッダ画像をお借りしています。

それは今、アル・パチーノが出ているセント・オブ・ウーマン/夢の香りを観ているから。これはめちゃくちゃ長い映画で、マジでちょうど半分ぐらい観終えて興奮しながら書いています。

半分で停止したのはちょうど良かったためです。アルに凄まじい見せ場があり、それが終わった。ここまでで少なく見積もってもアルだけの見せ場は3つぐらいある。

実はアル・パチーノについてもっと書きたいと思った映画が数しれずある。かつてぼくはアイリッシュマンを観、フェイクを観、今回これを見た。3つしかないな

フェイクのアルも凄まじかった。

フェイクにおけるアルとジョニー・デップの関係性について考えれば、それだけでぼくの基準でnoteが2枚書けてしまうだろう。

そしてそこで表現されるぼくの情熱のために消費されるエネルギーがそれはそれで普段書いているような適当なnoteのそれとは桁違いの分量になるから二の足を踏んだ。

フェイクの感想を書くつもりが、ジョニー・デップつながりでなんとなく観たTouristの感想なんて書いてしまった。ついこの前のことです。見る必要はないけど、下段のマガジンの中に入っているでしょう。Touristは不憫な映画だった。

そしてぼくは冒頭でも述べたとおり―――フェイクの感想時に書くべきなんだろうが、その時の消費エネルギー分量を節約する意味も込めてここで書くんですけど―――アル・パチーノについてほとんど何も知らなかった。

何やらマフィア系の映画演技に造詣が深い人なのだろうと捉えていた。アイリッシュマンもフェイクも麻薬だから当たらずといえど遠からずな気がする。

過去、幼い頃にアル・パチーノを観た時も魅了されはしたが、それ以降ぼくは別の娯楽に興味を見出してしまったため「アル・パチーノがいる映画」を鬼ディグったりするようなことはついぞなかった。その映画の名前をさっぱり思い出せないんだけど、なにか海辺の近くの街で煙に巻かれてしまうような、ハッピーエンドとはいえない話だった気がする。

そしてそれ以降、ぼくがアル・パチーノを意識することすらない中で体験したアル・パチーノ現象とは歌の詩に出てくる程度のものでした。ひとつはBirthdayのNIGHT LINEであり、もうひとつはBLANKEY JET CITYのHAPPY SUNDAY MORNING。

後者は浅井特有の、好きな言葉を羅列した歌に固有名詞と言うよりは単語として何の前触れも繋がりもなく登場するものだから、それ以上意識するのは難しい。

前者はどんな風なタイミングでアルが扱われるのかぐらいのイメージは見える。言いづらくはあるけどぼくがあまり好みでない時期のBirthdayではあるんだけど、NIGHT LINEを初めて聴いたときはまだ「この時代のBirthdayをぼくは好みではない」という理解ができていないぐらい、Birthdayに対する造詣が深くなかった。

NIGHT LINEを意訳するとこうです。

トランペットが鳴り響いているところを僕は歩いて聴き入っている。
ニットキャップをかぶったアル・パチーノが見える。
さあ踊らないか?
傾きつつある太陽に見とれていたら、
月の住人たちが「ここから先はナイトラインだ」とこちらに伝えているぞ

……というもの。だからぼくのなかでアル・パチーノがニットキャップを被っているイメージがついてそうなものだけどなかった。

調べるとこれは1973年の映画セルピコらしいことがわかる。通りでそんなイメージないはずだった。

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