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RECYCLEミーアキャットSPICA

脳がスピッツめいてしまったのでお話の続きです。ヘッダ画像をお借りします。

まず東京事変の透明人間ていう歌は最初にリリースされたステージ版が良かった。

似た話でスピッツのセルフプロデュース開始記念に発売された運命の人という歌は手探りで作ったらしいが良かった。

後発のオリジナル盤にリストinするための作り直しバージョンは、───────もちろんスピッツの歌を無条件で肯定できるポテンシャルをぼくは持ち合わせているため余裕でできてしまうのですが───────シングル盤と比べるとなにか「おとなしくまとまりました感」があった。

でぼくは楽器仲間とかに(楽器仲間以外に誰にこんなこと打ち明ければ良いのでしょうか?)運命の人のバージョン論について話しても、違いを認識できている人はほぼいない。

スピッツを知識として知っておきたい層にとってもおそらくフェイクファーのバージョンは一生耳にすることがないはずです。それはベスト盤になぜか本人たちが満足いっていないはずのシングルバージョンが封入されているため。たぶんスピッツの運命の人といえばキーDの方、2番のAメロのギターが1小節長い方、なのでしょう。


消費されるスピッツ

ならばとShowBizのメディアに目を向けても、歌でカバーする人こそいても、内容について触れる人はそこまでいませんでした。

もっとも「カバーするための歌」、という記号として扱わないと、そのカバーしている人自身もどこかに所属していたりした場合あまりに褒めちぎったりしてしまえばあとで面倒な目にあってしまうかもしれないため仕方ないのかもしれない。つまりなるべくして消費財とされてしまう。

芸術系コンテンツについて、一概に消費コンテンツとすることに対しては多くのカウンター・カルチャーが存在すると思います。ただそうしないと生活その他が成り立たない人たちもいるのでしょう。

ぼくはロビンソンだけはどんな人がカバーしても違和感を拭えなかったんですが、YuNiバージョンだけはすんなり受け容れられてしまった。

おめシスのチェリーは歯科矯正のつらさを描いたふざけではありますが、自分でウクレレを弾いていてオリジナル性が高い。妹さんがメインボーカルの下コーラスをしていて、聴き物としてたぶん製品化してもいいぐらい完成しています。

ほか、すでに趣味でインストを造っている人のデータファイルを借り受ける形で簡易オンラインステージを披露する人の間で歌われたりする。上記リンクでは流石にさわって・変わってを歌う人は初めてみたので当時のぼくは驚いていました。

このように、ぼくが好きな業界には良質なカバーが多くあります。チェリーなんかはもはや上記で述べたようなカバーするための歌、手段として消費されているのでしょう。

ミーアキャット

歌以外のことに触れた人は湖南みあさんがいます。

12分前後ぐらいから少しだけではありますが、1番好きなミュージシャンに挙げています。好きな割にコンサートに足を運んでいないことを恥じているようですが、ぼくは生で聴くことに義務感を持つべきではないと思っているためあまり気にすることでもないように思えた。

湖南さんは話す声がやたら落ち着く方です。ぼくは彼女に限らずASMRとかを寝るためだけに使っていますが、これはASMRをけなしているわけではなく、自分が好きになる声を聞いているだけで昔から何故か眠くなってしまうため。

そしてその眠りは異様に気持ちが良いことが特徴です。これには性別があまり関係ない。で生き物の声であるかどうかも関係がない。

お菓子を作るYouTube投稿でも同じことが言えます。ゆっくり湯煎をかき回したり、バニラビーンズを切り取ったりする音が響くだけの世界でぼくは眠くなってしまう。湖南さんもどちらかというとぼくにとってそちらに近かった。

何が、と言われても言語化しずらいためサンプルURLが貼りづらいので控えますが、周波数がある時突然合致するように声に囚われてしまう。

で歌がめちゃくちゃ上手くて、色々な声色を使い分けられるのに別に普段はそれに頼ろうとしないあたりにも好感を抱いています。

また一番好きな歌は楓らしく、奇しくも運命の人が収録されたフェイクファーにおいて運命の人の次のトラックの歌なんですが、たぶん世間的にはフェイクファーからリカットされたシングルとして有名です。

ここから数行余談が続きます。

リカット時は楓がA面、スピカがB面という8cmでリリースされたんですが、当時は「W(ダブル)A面」という販促方法が流行っていたらしく(たぶん、これもおそらく当時流行っていた「2枚同時発売」よりもコストを抑えたかったんでしょう)、楓/スピカという商品名で店頭に出ることになったらしい。

ジャケットが変わっていて、メインカラーが赤色の楓が表面(おもてめん)のバージョンと青いスピカが表面の2つがあります。中身は全く一緒です。つまり結局スピカの歌順は二番目。

スピカという歌の出来は以上によくて、せっかくこんなスピッツの中でもとんでもない新機軸な未発表の歌があるならばこっちをA面にしとけばいいのに(実質B面だから)と思うのですが、たぶん当時は現在の自由にやらせてくれる傾向が見て取れるユニバーサルではなくポリドールに所属していたため、レーベルの力技に屈する他なかったんだろうなと当時をよく知らないぼくは考えています。

レーベルの力技にはスピッツが被害を受けたこともある。スピッツのベスト盤と言えばCYCLE HIT系列ですが(年単位で新しいCYCLE HITが発売されるので「系列」)、過去には無理やりベスト盤が発売されたことがありました。

しぶしぶ出していますという意を表明するためにせめて命名権だけは手に入れた彼らがつけた名前はリサイクルだった。再利用、使い捨て、使い回し……昨今めちゃくちゃ叫ばれている温暖化対策の上では非常にもてはやされる言葉ではありますが、温暖化関係ないこの場においてはどえらい皮肉が聞いた、まるでベスト盤につける名称じゃなかった。たぶんポリドールを見限るきっかけはここにあったのではないでしょうか。

余談が終わりました。

歌を聴く時刻について

またスピッツは一日のうちいつ聴いてもいい、時間を選ばないという特徴があると上記YouTubeLIVE内でお話された。

もちろん全然否定どころかそうですねとしかぼくは思わないのですが、それはぼくがもともとどの歌をどの時間帯に聴いても気にしないタイプだったためでした。

夕方にしか聴けない歌、夜に聴いたほうがいい歌、みたいなことだと思うんですが、たぶんぼくはYOASOBIの夜に駆けるを朝に聴いてもいい歌だと思うような気がします。

ところでスピッツには先にも挙げた三日月ロックのヘッドナンバーとして演奏される「夜を駆ける」という歌があります。ヘッドであるだけのことはあって、恐ろしくストーリー性が高く、たぶん感情が揺さぶられる歌であるため生半可な気持ちで聴くことが難しい。

ひとつ思うのは昼に聞く歌ってなんだろうということです。昼ってあまり歌と接岸点がない時間なのかもしれない。何か食べていたり、何か大仰な職の行をしているのかもしれません。

そしてぼくはYouTubeのチャット欄その他オンエア権のある本人以外が干渉できる場所に目を通す趣味がないため要領を得ないのですが、スピッツを聴いていると年代がわかられるみたいな話があったらしい。

ご本人も言っていましたがスピッツほど年齢を選ばないグループもない。どこから彼らを知るかがあまりにも広々と設定されている、ように思えます。

もちろんデビューした1987年あたりから知った人もいるでしょうし、

ロビンソンで知った人も、リアリティーショーのテーマで爆売れしたスターゲイザーで知った人も、はちくろのOPで知った人も、NHKの朝ドラで知った人も、昔の歌がCMで何度も使われて知った人もいることでしょう。逆にファンの年齢層がガチ目に特定できない稀有なグループであるように思える。

ユニバーサルのマーケティング部署はきっと大変な思いをしていることでしょう。いったいどの層に訴求する広告を打つべきなのだろう。

ところでぼくは湖南さんが結構まめにエゴサーチをされる方であると思っていたため、休養されていた昨日あたりまでにこのnoteを投稿しておけばお目に触れることがなくていいかな、と思っていました。大したこと書いていないため。でも間に合わなかった。

でも復帰された湖南さんは少し無理しないようにすると話していた。つまり流石にこんなところまで見に来ないだろうという安易な目測があり書くに至りました。湖南さんの所属するグループは半ば企業方針のようにエゴサーチを課している節があり、そういう負担は減らせるに越したことがないですね。

復帰配信もかなり下準備が必要そうな内容だったため、一概に肩の力がいつ抜けるかは本人も周りも推し量ることが難しいところであるとは思いますが、そういった力を無理に込めなくても楽しかったと思えることができたらええんちゃうかなとか考えながらこのnoteを書いていました。書いていて楽しかった。

そして他者の口から彼らのことを聴く機会が少ないため嬉しかったというnoteでした。

過去に照井利幸が「あまりにも歌をバックグラウンドミュージックとしてのみ消費している例が多すぎて悲しい」というような旨を話していて、ぼくもそうならないようにしなければならないな……と思ったことがありましたが、この現状はどっちなのでしょうか。

次回も似た話ができたらと思います。ありがとうございました。

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