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ジェニファー・ロペスを性的搾取させる映画「ジーリ」

今日(昨日)は国際女の人デーです。ヘッダ画像をお借りしています。※猥褻な表現を多大に含みます

ジーリという映画(を撮影した側に)に何らかの目的がある(と視聴者側が想像する)なら表題ぐらいしかない。

ジーリはアル・パチーノの使い方もわかってない、アル・パチーノの使い方を熟知したはずの監督が撮影してしまった、観る価値がない映画

ぼくは見た映画をして「つまらない」とかくそ映画みたいな訳知りサブカル野郎みたいなことを言いたくなりたくないし、また「はぁ~クソ映画でした!wこのくそ映画評論こそがワイのLIFE WORKなのだがなあ??」みたいに、こういったSNSに書き込むことで承認欲求を満たしたいとも思わない。

ジーリを観た理由はアル・パチーノが出てるらしかったからです。そしてそれは完膚無きまでの期待はずれだった。なんならアル・パチーノをこそ「殺しちゃうよ~ん」的サイコパス搾取する映画とも言える。

アルは終盤でいきなり出てきて、単なる狂言回しでしかなかったジーリのボス的立場の面倒な奴をぶっ殺して、さも「本物のボスはこうまで恐ろしいのだぞ、おそれおののけ」と視聴者に思わせたいがためだけに機能する舞台装置という役割を与えられている。

アルを使ってその程度の役割しか期待しないなんて、どんな富豪の道楽としての映画撮影なんだろうと思わされる。ぼくはアルの出演料なんて知りたくないけど、こうまで無駄なアルの使い方を見て激怒した視聴者がもしいたとしたら、そういうくだらないことを調べてしまいそうだとぼくは杞憂する。

なぜならこの監督はぼくが激烈に褒めた、アルが主役だった映画の撮影者だったからです。それはセント・オブ・ウーマン。

セント・オブ・ウーマンのアルもジーリみたいに謎激昂したりする面倒なくそおやじだったけど、文脈的に意味があるからそうしていた。ジーリのそれは何も……意味が感じられなかった。あるとしてジェニファー・ロペスの口八丁シーンを再度出すか、ぐらいのためにアルが無意味にキレたといえる(そう、ジェニファー・ロペスはすでに「役柄的には」聡明な人間であることはえがかれているのだ。もう一度その描写をする意味は?)。

性的搾取とは

ジェニロペの性的搾取とは無意味に半裸のシーンが多すぎるから。じゃあジェニロペを性的搾取しようとする考えこそが浅ましいのだという意見もあるだろうし、ぼくは否定しない。だけど、当該ジェニロペが半裸になるシーンではやれ男根の意味だのヴァギナの美しさについてだの、そういうジャンルについて滾々と話している。だからそこに無意味に映し出された、ジェニロペのあられもない筋トレシーンはもはや交尾をしていないだけで視聴者はジェニロペの交尾を想起しろ、想起しろ、と思わせたいだけにしか思えない。

ぼくはどうかこの映画を、中学卒業したてのカップルが見に行かなければいいなと思った。大人の世界はこんなにサスペンスで肉欲に満ち溢れていて良いんだと短絡的に思って犯罪に加担してほしくないからだ。

無意味で哀れなジーリ

それだけでなく、これもまた「なぜこいつの名前が映画の題名なのか」と思えるジーリという何の取り柄もない主人公が終始ジェニロペに対して「やりたい、やらせろ」の意思をチラ見せしまくることも「ジェニファー・ロペスとは男からそのような目で見られねばならない」というような運命を背負わされた印象を与える。

殺し屋の役らしいけど無駄に脱ぎ着しづらそうなタイトすぎる革のおズボン、常に肩や腹が見えてるようなジェニロペ自身のMVでしか着てなさそうな衣服、ジーリとの謎交尾シーン(騎乗位でさも「今ちんこが入りました~~~w」感をなんとなく表情から視聴者が読み取れ、というようなくそ適当な何の色気もない交尾シーンだ)がある。

ジェニロペは一貫したレズビアンの役だったみたいなんだけど、脳の中に精液がぎっしりと詰まっている(書いていてベン・アフレックの脂ぎった感じを思い出すと、気持ち悪すぎてつらい)ジーリに最終的にやらせる。

それは何やらやりたいざかりのジーリの中に、ジェニロペ側が闇だとか繊細だとかで表現される女性(おんなせい)を見出したかららしいんだけど、深くは突っ込まずに終わる。上記の騎乗位でちんこの出し入れの決定権をジェニロペが握っていたのはそれを示しているのでしょう(ああ、なぜぼくはこんな情けない文字を書かなければならないんだ?しかもジェニロペとアフレックはこの頃マジで交尾するような仲だったらしい)。

ジーリの総括

ジーリはこのように朝から晩までヴァギナのことしか考えていないし、殺し屋っぽいのに(町の下っ端ギャングらしいから殺しはしないみたいな捉え方はできるけど、なんといったってこれは「何をしていい」の代名詞メディアたる映画だ)誘拐した障碍者の身体の一部を切り取って脅迫に使うことすらできない(これはジェニロペもだ)し、そんな中学生以下の男の心理に寄り添うなんて共感性羞恥が凄まじくて無理だし、

なんならジェニロペがジーリのもとへ来た理由も「取り敢えず映画なんで同じ場に参加させますた!w」程度の説得力しかないし、

ぼくはジェニロペが中盤で披露したはったり暗殺術が絶対最後の方にあるだろう戦闘シーンで実際に使われるんだろうと思ったけど戦いも何もなく終わったし、この

中身がない
薄っぺらい
何のためにアルを使ったのか
今までこんなにアルについて褒める文を書いたのに
セント・オブ・ウーマンと同じ監督なのに

と児戯のような散文調になってしまうほどの足りない映画について何かしら意見(これはもはや感想ではなく意見だ)を述べなければならないと思った。

アルという大きな事前期待値を何の利用もできず、ただ振り切って床に落としただけな内容の無さが、視聴者にこのような結果をもたらした。

もっと無名な人を使った映画だったらこんなことにはなっていなかったのに。

斯様な総論が得られたことでこの映画がジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーが出たツーリストにも似た構造だってことが言えそうです。Touristは真面目なスパイ・アクション・サスペンスだったらしいんだけど、結果的にコメディの向こうさん的な皮肉に満ち溢れた賞を受賞した。



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