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闇市みてえな男

ヘッダ写真をお借りしています。

ぼくは自分でも理由がわからないですが黒人が主役の映画に異常に惹かれます。

誤解のないように述べておきたいのですが、ぼくは特に過去あるいは現在にも連なる人種差別がどうとか言いたいがために黒人がメインとなる映画を見ていることを表明しているわけではありません。

もちろん不平等なことがあり、どこかしらが一方的に利益を得ていて、他方が大きく損失していたり傷つけられたりするべきではない。

黒人映画に惹かれる理由がわからない

ぼくがどれほど黒人の演じる映画にひかれているかといえば、ここ最近で見た映画がボヘミアン・ラプソディ(いきなり黒人は関係ないですが、奇しくも上記で気にしていないとは宣言してしまった人種に関する内容ではあります)、ショーシャンクの空に、Kiss the girls、セブン、最高の人生の見つけ方、最高の人生のはじめ方、ムーンライト、グリーンブック、ベンジャミン・バトン、幸せのちから、フェンスとか……思い出せばもう少し挙げられると思います。

特にモーガン・フリーマンとマハーシャラ・アリに異様に惹かれる。同じくなぜかはわかりません。

主役であるモーガン・フリーマンやマハーシャラ・アリの思いを邪魔する、行動を阻害するような者が登場するのであれば、それだけで不快になるほどなぜだか彼らを急に信奉しだしたかのような移入の仕方をしてしまう。

最高の人生の見つけ方ではジャック・ニコルソンに、グリーンブックではヴィゴ・モーテンセンにヘイトをぶつけないように過ごすよう気をつけねばならなかった。それについてお話するだけでnoteがもう10個は書けてしまうでしょう。書きたいと思っているのに、思いを心のなかにしまい込んで思い出として眺めふけっているだけで実現できていない。憔悴しているのかも知れない。

そこで更に、昨日食べて旨かった食べ物を今日も貪り食うかのように、また黒人映画を見るわけです。

フェンスは端的に言えばクズ野郎の話だった

今回見たのはフェンス。結果的にいえば、上記に挙げた中で1番「どうなんスかね……」的な感傷を抱いた。

映画の皮肉な所はそう思えば思えるほど、心が揺り動かされたのではないのか?という疑問が残る処。字が足りないので次回に続きます。

いや……でも、映画について話すのは楽しいですね。日頃、noteみたいな場だからといって無理やり硬いことしか書かないようにしていることがばかばかしくなるほどには楽しくて、文があっという間に出てくる。

それは当然、映画というメディア自体がひとりひとりの人間の恐ろしい執念により造られていて、その手足となり働かされる人の仕事量や苦労も尋常ではないだろうからでしょう。

このたった1つの言葉を伝えたいがために、なんとしてもこの表現が必要だと思う。その表現をムービーとして実現するためにその全員がすべての力を賭す。それが映画というプラットフォームに与えられた2時間なんだろうな、とぼくは思って観ます。



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