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fuxking sweeter

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTにヴァレンタインという歌がある。ヘッダ画像をお借りしています。

このヴァレンタインとは普通にちばが好きなだけだったら巡り合う可能性が低い……んだろうか?とにかく収録された商品が少ないからです。ぼくの知る限り一個しかない。それは最後から2個前ぐらいのシングルのB面だったというものです。

同じような理由でデビルスキンディーヴァ(正式表記はディーバ)があるが、これは流石に解散シングルのB面なので記念碑的な扱いで当時買ったファンは多いんじゃないだろうかと勝手に想像する。当時を知るファンがぼくの周りにいない。

あとデビルスキンディーヴァは何かしらに収録されてそうな気がする。ステージで演奏はされたのだろうか?同じ解散シングルのB面であるExcuse meをBLANKEY JET CITYは果たしてステージで演奏したのだろうか?ダンデライオンのカップリングのシェリルを演奏したときは(あとから知って)驚いた。スクラッチとかもそうだが、サンプリング音を流すというような態度をあの人達が取るとは思えなかったからである。

しかしながらそこは中村達也が「演奏しない」みたいな感じになることで実現したっぽいということをさらにあとから知って色々な気持ちになった。中村達也は最後のEPであるHAREMJETSに入っているSalingerについても後からアコースティックギターを重ねどりしたことについて、あまりしてほしくなかった旨を話していた。ドラム担当者なのにそのような全体のことを考えることについてぼくは深く考えさせられることになった。単純にすごいな、という意味で。

SalingerといえばBLANKEY JET CITYの最後のステージであるLAST DANCE初日(つまりその後に最終日が残っており、もっと言えばその年のFUJIROCK00がマジで最後のステージだった)に演奏されたSalingerの息が全く合ってなかったところを、中村達也の鬼のような丁寧なサポートで商品としての形が保てたことは記憶に新しい(ぼくは実際を見てないし23年ぐらい前のことだけど)。

それは浅井が普通ならフェードアウトで終わる歌の終盤にほぼアドリブ状態とかになってしまった時に「OK」と言って歌を終わらせるのだが(ピンクの若い豚とか聴けば、別にリリース音源でも入ってる)、Salingerの最終コーラスが終わっていきなりOKと逝ってしまった。で中村はそれを信じて合わせにいって手を止めたら、照井はおろか浅井も手をとめてなく慌ててドラムを再開したことがある。

で、次のいいタイミング(16拍子後とか)で浅井と中村が演奏を終わりに以降したら、照井だけは照井に託された最後のフレーズを弾かずに、通常モードのラインを延々と演奏していた。すると中村は即座に照井に合わせにいき、遅れて浅井があのBm C#m Dmを弾き始める。

そして結局、リリース音源異常に長引いた後奏を最早どう終わらせればいいのかその場にいた何万人含め思ったのだろうが、そこで中村は「お前らいい加減にしろ!!!」とでも言い出しそうな、有無を言わせないレベルのブレイクをアドリブで叩いて、今度は照井もきちんと最後のオリジナルフレーズを弾いて歌が終わった。

これまでさんざん書いてきたが、なぜドラムとはそのグループの女房役みたいな立ち位置になれるのだろうか。それはリズムのすべてをキープしているからだろうか?全ての機微に気づく繊細さが要求されるなんて、あのようなスポティッシュな楽器の形態からは想像しづらくないだろうか?

ヴァレンタインについて話そうとしたらSalingerでの中村達也の功労についての話になってしまった。これだから日本のロックはとめられない。

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